――ドラマの中の里沙子は裁判を通じて社会との接点を持ちますが、柴咲さんご自身も実業家としてビジネスを始められ、社会との関りを大切にされていますね。
私のなかでは全部ちゃんとつながっているなと思ってやっているつもりなのですが、もはや「社会に貢献しなくてどうするの?」っていうフェーズには来ているのかなと思っていて。これからはもう少し能動的に、自分が思う「より良いもの」を作って、社会に循環させていきたい、貢献していきたいという気持ちが強いですね。
――社会と能動的に関わることで新たに見えてきたこともありますか?
若い頃はあえて周りを見ないようにしていたというか、もっと自分自身のことにフォーカスしていた部分もあったと思うんですけど、だんだんと大人になるにつれて視野が広がってきたことで、いろんなことが見えてきて、もはや無視できなくなってきたといった感じですね。最近は周りのみんなが幸せそうな姿を見て、自分自身も初めてそう思えることに気づいたんです。
――今回のドラマを通じて、改めてご自身の家族関係を見つめ直したりもされましたか?
私は19歳のときに母を亡くしているのですが、父は健在なので、家族に対してもリスペクトを忘れないようにすることが、日ごろからすごく大事だなと感じています。特に異性の家族って距離感が難しいところもあるのですが、どうやったらやさしさで包んであげられるのかなって(笑)。父も「自分が健康でいる方が周りも幸せなんじゃないか」って気づき始めて、タバコをやめたりしている姿を見て、すごく学ぶものがありますね。そういった意味では、この作品は自分の家族に置き換えていろいろと思いを馳せることができるドラマなんじゃないかな。作品と出会うことで、自分自身を見つめ直すきっかけにもなりますよね。
――今回主題歌も柴咲さんが担当されていて、作詞もご自身で手掛けられたそうですね。
メインビジュアルをもとに、このドラマの世界観や主人公の心情を掘り下げながら作っていった感じですね。人が傷ついたり絶望したりした時って、感情の凪というか、逆に静かに見えたりしますよね。でも実際に内側はものすごく深くて暗い闇が広がっている。一方で、ドン底から少しずつ回復していくような部分もあったりして。テーマとしては「水」というのが頭の中にあって、「雫の音」をイメージしながら作っていきました。
――言葉や旋律は、ふとした時に降りてくるものなんですか?
曲が先行することが多いので、まず曲が出来てからその世界に詞がスパンとハマる感じですね。
――普段どんな場所で詞を書かれることが多いですか
家で1人で書きますね。歌詞を書きながら泣いてしまったりすることもあるので、外ではあまり書けないです。別に情緒不安定なわけじゃないですよ(笑)。それが私の仕事なので。
――なるほど。てっきり、カフェでまどろみながら書かれてるのかと!
そんなにおしゃれだったらいいんですけどね(笑)。すみません!
――詞はパソコンでタイプすることが多いですか? それとも手書きですか?
どっちもですね。まずは手書きで書いてから、パソコンで打ち直して、さらに手書きでもう一回書いてみたり……とかはしていますね。自分がどういう字体で書くのかっていうのも興味深くて。丸字っぽくなったり、すごいシャープになったり、書く内容によっても字体が変わったりするので、いつも不思議だなと思います。逆に自分で書いた文字を見て、そこからイメージを膨らませることもあったりするんです。
――それはすごく興味深いですね。ちなみに、柴咲さんにとって演じることと、音楽で表現することには、具体的にどのような違いがありますか?
演じることはチームでやることなので、あくまで1つの役割を与えられて演じると言うような感覚なんです。でも歌の場合は基本的には自分の世界だけで作れるなぁと言う感じです。ただ今回のようなケースだと、1つの物語を2つの見方で切り取るような感覚があります。音楽の方は、自分がその物語をどう捉えているかが大事になるので、完全に自分の視点で紡いでいくことが出来るので、どちらかと言うと「再プロデュース」みたいな感じですかね。作詞や作曲をする上では、今回のように自分が演じ手として関わっていたり、どんな物語なのかを詳しく知っているものの方が、やっぱり書きやすいですね。
――では最後に、柴咲さんがこのドラマを通じて伝えたいこととは?
人って、そんなに「世間の常識」とか「普通はこうです」っていうようなものに縛られなくてもいいんじゃないかな。SNSが普及してきたこの時代は、まさに「真の社会」みたいなものを形成していく途中段階にあるような気もするんです。誰かや何かを批判したくなったときは特に、「自分が言われたらどう思うか」「自分に返ってきたらどうなのか」「それでも言うべきことなのか」を、もっと想像力を高めて考えなきゃいけないなって。今回この作品に関わったからこそ、より一層強く思うようになりました。