「大人のための変身ベルト」をコンセプトに開発されたバンダイボーイズ事業部の「COMPLETE SELECTION MODIFICATION(CSM)」の第23弾は、2003年から2004年にかけて放送された特撮テレビドラマ『仮面ライダー555(ファイズ)』で活躍した"3人目の仮面ライダー"仮面ライダーデルタの変身ベルト「デルタギア」に決定した。
『仮面ライダー555』とは、2003年に放送された東映製作の特撮テレビドラマで、『クウガ』『アギト』『龍騎』と続いてきた「平成仮面ライダーシリーズ」の4作目にあたる。前作の『龍騎』においては、ヒーローが掲げる「正義」という概念に大きな揺さぶりをかけ、さまざまな"願い"を持つ個性的な仮面ライダー同士が"最後の1人になるまで戦い合う"といった、斬新かつ衝撃的なストーリー展開が話題を呼んだ。これを受けてさらなる"挑戦"が求められた『555』では、仮面ライダーの原点である第1作『仮面ライダー』(1971年)を見つめなおし、「人間を守る者」=ヒーローと「人間の敵」=怪人をほぼ均等のウエイトで描くという意欲的なドラマ作りが試みられた。従来のヒーロー作品で言うところの「怪人」にあたるオルフェノクそれぞれに確固たる主義主張があり、オルフェノクと戦う側である乾巧(演:半田健人)や草加雅人(演:村上幸平)たちにもさまざまな"苦悩"や"悪意"などをかかえていて、決してひとつにまとまることがない。ヒーローが怪人を倒すというシンプルな図式に当てはまることをよしとしない、複雑で波乱に富んだキャラクター群像ドラマが1年間にわたって描かれた。
『555』のテレビシリーズでは、巨大企業スマートブレイン社が作り上げた3つのベルト「ファイズギア、カイザギア、デルタギア」が存在し、これらを装着した者はオルフェノクと互角かそれ以上に戦うことができる力を得ることができる。ただし、ファイズギアはある特殊な条件を満たした者だけに変身が許されるベルトで、カイザギアは適合者以外の人間を死に至らしめる恐ろしいベルト。そしてデルタギアはファイズやカイザほど変身に高いハードルはないものの、変身者の脳波に介入して凶暴化の危険性をはらむという、やはり扱いには十分に注意しなければならないベルトだった。
ここでは、番組中盤からレギュラー入りし、仮面ライダーデルタの変身者としてオルフェノクとの戦いを決意する心優しき青年・三原修二を演じた原田篤にインタビューを敢行。『555』出演時の印象的な出来事や共演者との思い出、特撮ヒーローを愛してくれるファンへの感謝を語ってくれた。
――原田さんは『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(1999年)のゴーグリーン/巽ショウ役で子どもたちのヒーローとして活躍されました。『仮面ライダー555』は二度目の特撮ヒーロー作品となりますが、こちらの出演オファーを受けられたころのお話から聞かせてください。
『仮面ライダー555』には、初期のころから出演の依頼があったんです。そのときは、三原の役はありませんでしたけれど。ただ、当時はずっと別のドラマ出演が続いていて、スケジュールが合わなくてお断りしていたんです。そんな中、スケジュールの調整がついたタイミングで、ふたたびお話をいただいたのが三原修二という役柄でした。マネージャーと相談して、役をお引き受けしようと決めたのが、『百獣戦隊ガオレンジャー』のガオレッド/獅子走役の金子昇くん、今や「純烈」リーダーとして有名なガオブラック/牛込草太郎役の酒井一圭くんと3人で、競馬に行った日だったのをよく覚えています。以前から約束していたのでタイミングが重なっただけなのですが、競馬場で2人に「ついさっき、仮面ライダーの出演が決まった」と話したんです。もう一つ、ちょうど『555』への出演は僕が結婚を発表したときと重なっているんです。だから、『555』放送○周年と聞くと、結婚してからもうそんなになるんだなあって、同時に思ってしまいます(笑)。
――原田さんは三原を演じるにあたり、どのような考えをお持ちだったのでしょうか。
「普通」の感覚ですね。三原がデルタに変身してオルフェノクと戦うということは、普通の人間が偶然に、自分しかできないことを与えられてしまった。その決意と覚悟を表現したかったんです。
――ゴーグリーン/巽ショウと三原とでは、原田さんはどちらのキャラクターに近いのでしょう。
どうですかね~。すぐに熱くなってしまうという意味ではショウのほうが地に近いのかもしれませんけれど……。ショウの場合は最初から最後まで、等しく熱血漢という描かれ方をしていました。一方、三原の場合は最初、オルフェノクにおびえて、「家に帰る」とばかり言っていたのが、緊急事態を迎えて自分自身が戦わなければならなくなった。短いエピソードの中で急激に"成長"をしなければならなかったキャラクターなんです。その"覚悟"という意味では、今の自分の思いは後半の三原に通じるところがあると思います。