■出演者で炊き出し担当
――現実に置き換えると、「過酷な環境に適応する力」が求められると思いますが、ご自身の経験としてそのようなことはありましたか?
小さいことは日々、たくさんあります。何だろう……大学生の時の映画制作ですかね(京都造形芸術大学映画学科俳優コース在学時)。『カミハテ商店』(12)という作品に出させていただいたことがありました。島根県の隠岐の島で、2週間ぐらいロケ。学生がプロと一緒になって制作する作品だったのですが、隠岐の島での2週間の生活はなかなか……。
――なかなか?(笑)
それこそ、「やるしかない」と追い込まれる環境下での撮影。学生は出演だけでなく、スタッフもやらないといけなくて。私は炊き出し担当でした。京都で撮影していた時もご飯は作っていましたが、隠岐の島に行ってからは地元のお母さんがほとんど作ってくれるので、まずはその方々とのコミュニケーションが重要でした。打ち解けるまでにちょっと時間がかかってしまって。あとは朝がすごく早い(笑)。夜は次の日のスケジュールが出るまで待ってないといけないですし、翌朝は誰よりも早く起きて準備しないといけない。本当にしんどかったです。
――体力面と精神面。あとは演者としても結果が求められる。
「貴重なチャンス」なんて考えられないくらい追い詰められていました。でも、この経験のおかげで、その後のいろいろなハードルも乗り越えられたのかもしれないですね。
とても寒い時期。泊まっていた古民家のストーブでは、すぐに温まらなくて。ガラッと窓を開けると、海風の混ざった吹雪。数百メートル先にある公民館が拠点になっていて、そこで食事の支度をします。景観も抜群で、ロケ地として本当にすばらしいところでした。
――それだけ過酷な環境でも、徐々に慣れていくものですか?
そうですね。みんなの楽しみが「食」に向いていくんです。魚介類も豊富ですし、ご飯が本当においしいんですよ! できたての塩辛もおいしかったなぁ。帰る頃には、一回り大きくなっていたかもしれません。最後は地元のお母さんとすごく仲良くなって、別れを惜しんでくださってとてもありがたかったです。隠岐の島で暮らす方たちからたくさんの協力と応援をいただけて、それがとても励みになりました。大変でしたが、とても思い入れのある場所になりました。
――それにしても、窓を開けた時の描写がリアルでした。それだけ記憶に残っているということですね(笑)。
はい(笑)。よく耐えたと思います。今あれをやれと言わたら……たぶん無理だと思います(笑)。炊き出しと演者を一緒にやっちゃいけませんね。
――なぜ耐えられたと思いますか?
映画を作る環境に身を置けるのがまず、ありがたかったので。学生のうちからプロに近い環境を経験できるのはすごくありがたいこと。主演が高橋惠子さん。すばらしい作品でした。
――先程もおっしゃっていましたが、女優も日々試練の職業ですね。数々の試練を経て、変化はありましたか?
そうですね。基本的に何かが変わったという自覚はありませんが、以前と比べて内にこもっていた部分が少し外に向けていくことができるようになったかなと思います。お芝居もそうですし、普段の共演する方たちとのコミュニケーションも。前よりもオープンに、自分から壁を作るようなことはしなくなってきたように思います。
――壁がないと、吸収できることも増えそうですね。
話が聞けるようになるといろいろなことを学びますし、お芝居も踏み込めたり、踏み込んでもらえたり。そういう面でプラスになっていると思います。
■プロフィール
土村芳(つちむら・かほ)
1990年12月11日生まれ。岩手県出身。子ども劇団に所属後、高校在学時に新体操でインタ ーハイに出場。京都造形芸術大学の映画学科俳優コースに進学し、数々の舞台作品や自主 制作映画に出演した。2013年3月に大学を卒業後、ヒラタオフィスに所属。これまで、 『カミハテ商店』(12)、『弥勒』(13)、『劇場霊』(15)、『何者』(16)、『去年の冬、きみと別れ』(18)などの映画、『コウ ノドリ』(TBS系・15/17年)、『べっぴんさん』(NHK・16~17年)、『恋がヘタでも生きて ます』(日本テレビ系・17年)、『GO! GO! フィルムタウン』(NHK・17年)、『女子的生 活』(NHK・18年)などのドラマに出演。2019年1月から、『ゾンビが来たから人生見つめ直した件』(NHK)、『3年A組-今から皆さんは、人質です-』(日本テレビ系)が放送中。出演映画『空母いぶき』が5月24日に公開予定。