――『パコダテ人』のときに、役者として、すごいと思ったのはどんなところですか?

自分の子供を保育士さんに預けるためにアパートまで走ってくるというシーンがあって、けっこうな距離を走ってきたという設定だったんです。だから、本番が始まる前に、「ちょっと遠くから走ってきてください」と言おうと思ったら、大泉さんはもう遠くの方から走ってきて息を切らしていました。役者としての心得をすでに持っている部分がいっぱい見えたので、「絶対にスターになるな」と思っていました。ひとつひとつの仕草も面白いし、リアリティとの塩梅もいい。その後も、ずっと大泉さんと一緒に仕事したいと思っていました。

――そこから今作まで16年かかったのは。

例え僕のほうに思いがあっても、やっぱりタイミングやいろいろ事情があるわけじゃないですか。でも、今回はすべてがパンっと合わさった。なおかつこの企画は、全国300館以上でかかる、ドメジャーな作品でないといけなかったから、大泉さんが出ないと実現しなかったんです。まあ運命ですね。

――その間は交流はあったんですか?

会ってなかったですね。でも、今回の作品で久しぶりに再会したら、昨日も会ってたような感覚でした。大泉さんはもともと壁のない人なので、すぐに打ち解けました。もちろん、あの頃に比べたら、全国区の大スターになってるんですけど。大泉さんとの話といえば、「手紙書いたのに読んでなかったのかよ」話もありますね。

――それはどういうことなんですか?

この映画への思いを切々と10枚もの便箋にしたためて、台本と一緒に渡したんです。でもマネージャさんが情に流されやすい人だからあえて渡さなかった。映画の内容で決めたかったということですよね。もちろん、出ると決めたあとには手紙を読んでくれましたので、「この役には大泉さんしかいない」という僕の気持ちは伝わったと思います。

視力いいのにメガネかよ

――ほかにも、メガネとかビジュアルにもこだわりを持って臨んでいたとか。

「視力いいのに、コンタクトで視力落として、度付きメガネかよ!」ですね。非常にしんどかったと思います。髪型も体重も似せようとして頑張ってくれましたけど、そこは物まねではないので、大泉さんがやる鹿野さんになっていました。実際の鹿野さんの元ボランティアの方も、本当に似てるということで、親しみを込めて、大泉さんのことを「鹿泉さん」と呼んでおられました。

――鹿野さんて、コミカルで楽しいんだけど、どこかやっぱり体が自由に動かないからこそ、やるせないシーンもあって。そこが本当に絶妙に描かれていましたね。

この映画を「障がい者の鹿野さんが、こんなに健気に頑張ってるんですよ」という感動ものにはしたくなかったんです。そんなのは、高畑が演じた美咲のセリフじゃないけど、「ムリムリムリムリ!」ですよ。母と子の物語は普遍的なものだから、そこは感動的に描きました。でも鹿野の闘病も、切ないときもあるけれど、淡々と見せるということを意識していました。

以前札幌で講演をしたときに、車いすの男の子が質問してくれて「僕らをモデルにして感動させる話はもう見たくない。でも、この映画はそうじゃなさそうなので観に行きたい」と言ってくれたのがうれしかった。僕は、鹿野さんという、それこそ命懸けで全力で生きた生命力に溢れた人の映画を観客に届けたかったんです。

■プロフィール
前田哲
フリーの助監督を経て、98年に相米慎二監督のもと、CMから生まれたオムニバス映画『ポッキー坂恋物語・かわいいひと』で劇場映画デビュー。主な作品に『sWinG maN』(00)、『パコダテ人』(02)、『棒たおし!』(03)、『陽気なギャングが地球を回す』(06)、『ドルフィンブルー フジ、もういちど宙へ』(07)、『ブタがいた教室』(08)、『猿ロック THE MOVIE』(09)、『極道めし』(11)、『王様とボク』(12)など。2019年3月23日より、初のドキュメンタリー映画『ぼくの好きな先生』が新宿ケイズシネマで公開する。