『けもなれ』とは正反対の印象に

――『アンナチュラル』は、毎回、人が亡くなったところから始まっていましたが、『フェイクニュース』では、青虫のシーンから始まりますよね。それもなかなか斬新だし、採用されるまでにもいろいろあったとか。

やっぱり、見てもらうのに楽しいほうがいいと思いました。「殺人事件とか、もっと真面目なところから入った方がいいんじゃないか。青虫で興味が持てるのか」と言われたりもしたんですが、青虫みたいな何でもないところから話が拡大していく方が絶対面白いはずだし、今までになかった! と言い張ったりして。青虫のビジュアルに拒否反応があるかもしれないという心配もあったんですけど、そこは堀切園(健太郎)さんの演出もあり、スタイリッシュで素敵な感じになっていましたよね。

――木漏れ日がキラキラしてて、虫が気持ち悪いって思うところがなかったです。冒頭の青虫のシーンを見たら、この先どういう物語になるのかなという予想のつかないワクワクはありました。それと今回、前編でどうしても印象に残ったのが、光石研さんが演じられた役でした。

最初は、ネットメディアの女性記者じゃなくて、光石さんが演じた役を主人公にしようと思っていたんです。その方が、見ている人の目線に近いのかなとも思って。

――確かにネットニュースの記者だと、職業が身近に感じられないという人も多かったかもしれないですね。それもあったのか、やっぱり前編が終わったときは、光石さん演じる役のことを応援したくなりました。

光石さんが演じる役ってどうなると思います?

――光石さんもやったことがやったことなので全ては肯定しちゃいけないのかもしれないけど、誤解だけは晴れてほしいと思います。

光石さんがそれだけ魅力的に演じてくれたってことですね。

――『獣になれない私たち』と本作は、同じ時期に書かれたそうで、問題点として気になることが、重なるところもあると思うんです。そこを、2つのオリジナル作品に分けるという作業はいかがでしたか。

この2作でいうと、うっかりセクハラが被っちゃったよね、というのはありました。『けもなれ』は、主人公がいろいろ「すり減らしていく」過程のセクハラ描写で、『フェイクニュース』は、主人公の過去としてのセクハラ描写です。『フェイクニュース』のプロットでセクハラを書いた後に、ちょうど財務官僚と女性記者のセクハラ問題が騒がれたというタイミングで、図らずもリアリティを増すことになりました。でも、脚本の構成やスピードは、別のアプローチで書いているので、印象が正反対のドラマだと思います。

――確かに、お話の展開のスピードがまったく違いますね。2話で完結というのもありますが。

『フェイクニュース』は展開で早く見せていくところが『アンナチュラル』に近い。『けもなれ』のほうは、せっかく水田(伸生)さんが撮ってくれるし、手練れの役者さんも集まるんだったら、細かい表情とか間とかで心情を見せるドラマにしたいなと思って。だから、同じ1話の47分でも、まったく別のものにしようと意識して書きましたね。

世の中、ダメな人ばかり

――野木さんは、『アンナチュラル』の石原さとみさんについては「普通の主人公を書きたい」と言われてました。今回の2人もそういう視点があると思いましたが、なにかキャラクターを書くときに意識したことは。

今回もそうですけど、わりと普通の人のほうがいいなと思っていて。現実にもあり得る感じというか、その方が好きなんですよね。そうやって普通の人の中にもキャラが描けるといいなと。『けもなれ』の1話が終わって、すり減らし女子のヒロインのことを「それ、超わかる!」という人もいれば、「わからない」という人もいて、全ての人に伝わらないという苦労もありますけど、そこを乗り越えて、キャラクターを作っていくしかないな、と。

――仕事って、なんとなくやりそうな人のところに集まってきたりするのを体験しているし、コピーのソートの話なんかもめちゃめちゃリアルでした。『フェイクニュース』で北川さん演じた東雲樹というキャラクターに関してはいかがでしたか?

短い作品なので、そんなに複雑なことは書けない、ということはあります。ただ、ずっとネットのメディアにいる人だと、ネットニュースの在り方になかなか疑問を持ちづらいじゃないですか。だから新聞社から出向するということにして、新聞記者の習慣であれば、「裏をとって書く」という矜持があるので、その視点からネットメディアに入った記者が、どうするかという設定ありきでキャラクターを作ったところはありました。

――「樹はこういう人なんだな」というのが見えるシーンが挟み込まれて、だんだん背景が見えていきますよね。話は変わりますが、最近、登場人物の全員が悪くないとか、前と悪を簡単にわけられないのではないかということも感じますが、それについてはどう思われますか?

『けもなれ』もそうだし『フェイクニュース』もそうだと思うんですけど、どっちの作品もダメな人ばかりなんです。でもみんな、ダメじゃない? ダメじゃない人なんていないと思うので、そういう意味でも、今回の『フェイクニュース』でも、間違った時にどうするかをやった方がいいんじゃないかなと。

――またそこは『アンナチュラル』とは違ってきますね。

そうですね。取り返しのつかない間違いをした人……例えば『アンナチュラル』の連続殺人犯であったら、そこはもう断罪しないといけないと思います。でもそれ以外の、道路にごみを捨ててしまいましたというようなことでも、執拗に叩かれるようなことってあり得るじゃないですか。例えば、誰かが不倫していたというと、鬼の首を取ったかのように責められる。もちろん、当事者にとっては大きな問題だけど、そうじゃない人には関係ないことなのに、そこまで糾弾する権利を持ち得ているのかと疑問に思います。

――そうですね。遵法意識が強すぎて、善悪ではなくルールを破ったことで、鬼の首を取ったかのようになることってよく見ます。1度失敗したら戻れないというのが1番、寛容じゃない社会だと思いますしね。

犯罪を許せといってるわけじゃないけど、その人のやったこと以上の罰をあたえられているというケースが怖いし、それでは誰も幸せにならないと思うので。人ってもっとダメじゃんと思っているので、そういうダメな人を書いていきたいです。それからすると、『アンナチュラル』の六郎もダメだし、中堂さんもダメだし。今回の『フェイクニュース』に出てくる人だってダメじゃないですか。

――そこからすると、光石さんの役もダメですね。野木さんは、人って変わるという解釈になるんですか?

変わらないけれど、理解はしあえるんじゃないかと。他人のことなんて分からないですよね。でも、理解し合えることってあるんじゃないかなと思って。それをあきらめてしまうと、極論、戦争になっていくので、「それでいいんでしたっけ?」という気がしてしまうんですよね。