――ではお話を『仮面ライダービルド』のほうに移します。上堀内監督はテレビシリーズでも主要なエピソードを担当していて、作品世界もキャスト陣のことも熟知されていると思いますが、毎回、濃密な情報量のまま非常にスピーディに物語が進行する武藤将吾さんの脚本について、どんなご感想を持たれていますか?
いやあ、大変ですよ(笑)! 大変ではありますが、武藤さんのホン(脚本)のすごいのは、すべての描写が理にかなっているところなんです。ある意味、演出する側がどこまでついていけるか、試されているという思いがありますね。ただいま最終話近くまで来ていますけれど、それでも「ここのこれ、どうなっているんですかね」ってスタッフのほうから質問が出るくらい、最後の最後までとんでもない展開になっていきますよ。あの人のスピード感で考えていることを、どれだけ映像にできるか、なんて逆にこちらが思ってしまう。苦労をする甲斐があるというものです。
――情報量が詰め込まれているがゆえに、演出の段階で要素を省くと次につながらなくなってしまったりするわけですか。
それもありますけれど、ひとつひとつのセリフを役者さんが「なんでここで、こんなセリフを言うのかな」と思ったとき、その表情ひとつ、こちらが受け取り方を間違えると、その後の意味が変わってくるんです。そのあたりのヒリヒリ感というのは、最初のころから感じていましたが、そこがとても楽しいところでもあります。僕たち(監督)も、次に来るホンを読んで「ああ、こういうことだったのか!」とわかっていく部分がありますし、観ている方に違和感なく自然につながるように撮りながら、新たな驚きを与えられるように、という思いでやっています。
――そんな情報量の多い『仮面ライダービルド』の、しかも最終回が近づくクライマックスにぶつける映画ですから、どんな仕掛けを持ってくるのか期待していました。今回の映画は、いわばテレビシリーズ第1話の「前」を明らかにするという、「第0話」という要素があるんですね。
企画の初めに「ビルド"0"をやりたい」という意見もあって、その要素も映画の中にいろいろと組み込まれているということです。ビルドの0話をやるということは、桐生戦兎を追いかける=葛城巧を追いかけるというところから始まって、現在の戦兎がどう動くのかにつながっていきます。ビルドの0話からずっと引っかかってきている「ブラッド族」という存在が、現在の時間軸で暴れ出す。だから「0話」と「現在」がマッチングしたストーリーということになりますね。
――映画冒頭で「東都、西都、北都の戦争が終結した」と語られていますが、テレビシリーズでいえば、どのエピソードあたりに該当する時間軸なのでしょうか。
今回の劇場版は、基本はテレビシリーズ第45話と第46話の間に位置する物語です。それは実際に映画をご覧になって確かめてほしいですね。もちろん、劇場版なのでテレビの合間に起きたアナザーストーリーです、というものでも構わないんですけれど、そうではなくてテレビとも(物語を)つなげながら、劇場版ならではの「特別感」というものも出していかなくてはいけないと考えています。いい意味で「おいしいとこ取り」をしている映画になっているのではないでしょうか。
――最近のテレビシリーズにおける幻徳の突飛なパフォーマンスに見られるように、極めてシリアスな展開の中でときどき強烈なギャグカットが入ったりするのが『ビルド』の特色のひとつだと思います。今回の映画でもそういった要素は入っていますか?
それはもう、幻徳ファンは十分期待していていいんじゃないですか(笑)。ああいった緩急の付け方は、やっぱり武藤さんの構成力の巧みさだと思います。僕ら作り手も、もともと「観る側」から入ってきていますから、シリアスな展開、緊迫感のある展開って大好きなんですよ。でも僕が求めているのは、観ているお客さんの「呼吸」を作り手の演出の力で制御(コントロール)したい、ってところ。それはお客さんに意識させるのではなく、お客さんに作品の中へ入りこんでもらって、無意識のうちに呼吸をコントロールしたいってことなんです。 そのとき、60分前後の尺(上映時間)でずーっとシリアスなままだと、観ているほうとしてもキツいと思うんです。ですから、ここでちょっと気を抜いて、さあ次の場面に行きたい、って思えるようなシーンが必要ですし、そういう楽しい部分に適したキャラクターがせっかくいるのだから、生かしたいということなんですね。武藤さんの構成力と、キャストたちの頑張りのおかげで、ギャグシーンもすごく印象に残りますし、全体を見てもうまく緩急がつけられていると感じています。