2008年7月11日に、日本でiPhone 3Gが発売された。当初はソフトバンクが独占的に販売を行い、同社の成長に大きく貢献した。他社がiPhoneの取り扱いを始めたのは、iPhone 4S、iPhone 5以降の話であり、3年間、日本におけるiPhoneはソフトバンクとともにあった。
2007年登場の初代iPhoneはもちろん、iPhone 3Gにおいてもスペック面では日本のケータイに見劣りするのが実情だった。しかし、Appleの構想はガラケーのコンセプトとは一線を画すものであったのだ。
「マルチタッチディスプレイによるインターフェイス」と、OSやアプリによって機能が追加されていく「ソフトウェアによる進化」は、その後、iPhoneの基本的な在り方となる。
ケータイは最盛期には3カ月に1度新製品が発表され、新機能は新機種によってもたらされてきた。つまりハードウェアによる進化が前提だった。しかしその限界が訪れる。対してiPhoneはケータイを凌駕する処理性能を手に入れるようになっていった。
ハードウェアによる進化は、オープンOSを採用するAndroidスマートフォンでも同じ展開になっていると言える。各メーカーの差別化はそこに依っているが、結果として同じOSが走っているのにデバイスによって使えない機能が出てきたり、ユーザーが基本OSをアップデートする際の分断化が起こるといった問題を抱えるようになった。
Appleは早々にハードウェア中心主義に見切りをつけ、ソフトウェアによる進化という道筋を日本のiモードなどのケータイコンテンツから発見し、それを当初の段階から開発方針として立てている。
Appleは、iPhoneのコミュニケーション機能にフォーカスするだけでなく、音楽、位置情報、金融・決済、健康、医療と、様々なサービスを次々に持ち込んだが、その有り体は10年前のケータイを想起させる。ただし、決定的に異なるのは、ハードウェアではなくソフトウェアでの解決にこだわってきたところにある。
とはいえAppleは、iPhone向けのプロセッサを自社開発するなど、ソフトウェアから見て必要な要素となるハードウェアは自分たちで生み出している。これは、世の中にあるものでは実現できない部分を内製して補っているように映る。