少しコツがつかめてきたところで、次は伸びる声をだすために、重心を下に置いて発声する練習が加わった。目まぐるしくトレーニング内容が変わっていく。
「では、この机を引っ越し屋さんが持ち上げるような動作をして、声を出してみてください」と、目の前の机をもって説明する永井コーチ。
Mさんが机を持つ体勢に入って
「みなさん、こんにちは。わたくし、M(フルネーム)です」
なんということでしょう、全然違う。確実に進歩している。
「いい感じ。いまの感じ。その感じで!」永井コーチからも称賛のコメントだ。
養成ギプスが登場
さらに、レベルアップするため、次のトレーニングは
「これは使いたくなかったんですが……」
と前置きがあった上で、カバンから取り出されたのは、ベルトである。
思わず、私は「何ですか? それ」と尋ねると、
「横隔膜矯正ギブスというもので、これをさっきのお腹の場所に『ぎゅう』と巻いてください」
横隔膜は、肺の下にある呼吸を司る筋肉。呼吸をすることでしか鍛えられない横隔膜を鍛えるトレーニングを行うようだ。
「『ドギーブレス』といいます。ワンちゃんは、暑いときにどのように呼吸していますか?」
「ベロを出してしています」
「それをやってましょう」
またもや斬新なトレーニング。しかし、経営者もこの試練を乗り越えて、プレゼンの達人になったのだろう、と思いたい。2人は犬のように、ベロを出して、犬のように呼吸し始める。
「次はこの横隔膜を意識しながら、ワンちゃんになってください」
今度は、鳴き声も入ってきた。
「ははははははあ」「うぅーうぅー」「わぉん、わぉん」
「まだ、張りがたりない」
さらにギブスを締め付けられる。
改めて言おう、虎は獲物を決して逃さない。
「もっと、犬になりきって。もっと吸ってください。もっと下から突き上げるみたいに。低い鳴き声。まだ人間ですね。もっと犬っぽく」。さらに永井コーチの檄が飛ぶ。
だんだん、犬になってきたMさん。悪代官から、犬。彼の演技の幅は広がっただろう。
「じゃあ、セリフを言ってみましょうか」
「みなさん、こんにちは。わたくし、M(フルネーム)です」
「いい! ダンディになってきました!」
まるで、千尋の谷から這い上がってきた子どもを慈しんでいるようだ。いや、それは獅子か。ま、どっちでも良い。彼が虎の穴を抜けつつあることが大事なのだ。
「そうですか。あ・り・が・と・うございます」と感激するMさん。
説得力のある話し方
次はホワイトボードの前に移動。永井コーチがホワイトボードに一文を書き込んでいる。
「Mさん、これを読んでください」
「こんとんじょのいこ」。なんの呪文だ? Mさんも戸惑う。
「意味わかりますか。なんか聞こえてくるでしょ」
そのとき、ハッと気づいた。「『かんたんじゃないか』ですね?」
「そう。実は、動画で紹介した達人の話し方はこれです。母音の『あ』とか『え』を発音していないのです」
永井コーチ曰く、「あ」が平べったくなることで、響きが浅くなって、説得力が落ちてしまうようだ。なので、リーダーは、「あ」と「え」の母音を「お」に近づけて、話すようにコントロールしているのだ。
そして、この話し方をすぐに習得できるコツがあると言う、ここは重要だ。
口を縦にして、さっきの犬の泣き声「ウォン、ウォン」を意識で話すことらしい。 Mさんもチャレンジしてみると、だんだん聞こえてくる! 聞こえてくるぞ!
緊張感ある中での訓練も大事
一連のトレーニングを教わったところで、永井トレーナーから提案が。
「無茶振りしていいですか。最後の15分で、あとお二人ほど聴講してもらえる人を増やせませんか。ぜひMさんのプレゼンテーションを一緒に聞いていただきたいのですが」
突然の依頼に、周囲はザワツキ、Mさんの緊張はさらに高まった。
「緊張感がないと、本番でも力を発揮できないから」と永井コーチ。
虎は獲物が倒れるまで気を抜かない。自然界の掟だ。
聴講者を探しつつ、Mさんは再びトレーニングに集中する。
「気持ちを込めてください。言葉だけが一人歩きをしてしまってます。3つのポイントを話すときは、指をたてましょう」
Mさんは最後のトレーニングに身が入り、永井コーチもそれに応えるように、これまで以上に熱がこもった指導を行う。
もう一度言おう、虎は最後まで気を抜かない。
最終試験開始
ここで、新たに2人の聴講者が参加し、いよいよ最後のプレゼン。始める前に、永井コーチから聴講者にお願いが言い渡された。
「Mさんのプレゼンがよくなるには、お客様の応援が必要です。海外のクラシック演奏会では、観客が『ブラボー! ブラボー!』と言って、演奏者を盛り上げます。すると、演奏者のモチベーションがすごく高まります。伝統的にああしたことを行っているので、海外の演奏レベルは高いんです。みなさんができれば、Mさんを拍手で迎えてください。そして、『ブラボー! ブラボー!』という掛け声をかけてあげてください」
これは、海外で音楽の演奏会を何度も経験した実体験から得た手法らしい。
そして、Mさんの最終プレゼンが行われた。つねに聴講者に視線を投げかけ、こもった声もなく、言っていることも聞き取りやすい。一番の違いは、身振り手振りがあることで、表情も豊かになっていた。
永井コーチによるトレーニングと、声援が大きかったのだろう。2時間前のMさんとは別人のようで、当初の緊張した姿はそこにはなかった。彼は虎の穴を攻略した。
初めてMさんのプレゼンを見た聴講者の感想も、称賛の声だった。
「とても堂々とされていて、この人なら信頼できそうだと感じました」
「意識されていたと思うんですが、身振りもあって提案のメリットもわかりやすかったです」
約2時間のレッスンだったが、ちょっとした気づきとトレーニングでここまでプレゼンスタイルが変わるのかと驚きの連続であった。
最後に、永井コーチよりプレゼンに悩んでいる人にメッセージをお願いした。
「プレゼンが上手くできないと悩んでいる人は、圧倒的に課題を振り返って、改善する。そのPDCAサイクルが足りないと思います。自分のプレゼンを録画して、見直してみる。それを10回繰り返し、行えば、相当プレゼンが上手くなります。事実は神です。それを認識するところから初めてください。誰でも、光り輝くものをもっています」
監修者プロフィール : 永井 千佳氏(ながい ちか)
トップ広報プレゼン・コンサルタント
ウォンツアンドバリュー株式会社 取締役
音楽理論に基づき、トップ広報のメッセージ力を改善することにより、短時間で経営者が持つ個性や才能を引き出す方法論を生み出し、企業ブランド強化を実現する「トップ広報プレゼン・コンサルティング」を開発した。広報・IR・リスクの専門メディア月刊「広報会議」では、2014年から経営トップ「プレゼン力診断」を毎号連載中。
主な著書に、「DVD付 リーダーは低い声で話せ」(KADOKAWA 中経出版)がある。