桜新町駅と用賀駅の間に玉電跡がひっそりと

この先、いかにもかつての鉄道跡らしく弓なりのカーブを描きながら、道は桜新町駅前へと続く。玉電と直接関係ないが、桜新町は「サザエさん」の街として知られている。街中の至る所にサザエさん一家の銅像などが見られ、サザエさんの出版元である姉妹社の書庫だったという場所には作者の名を冠した長谷川町子美術館もあり、歩いていて楽しい。

  • 桜新町駅付近のサザエさん一家の銅像

    桜新町駅付近のサザエさん一家の銅像

桜新町駅からさらに500mほど歩を進めると、用賀駅方面に下る坂道の上で道が分岐する。用賀駅に向かって左手に真っ直ぐに下る道は、かつて玉電の専用軌道跡だった。一方、右手の一方通行になっている道はかつての大山街道であり、少し坂を下った道の角には「大山道追分」(「追分」は分かれ道の意味)の石碑が立てられている。

さて、専用軌道跡の方を下り、大きな交差点を越えたならば、その少し先のパチンコ屋手前で歩道脇に目を留めてみてほしい。うっかりすると見過ごしてしまうが、「玉電用賀駅跡」という石碑が立っている。玉電時代の用賀駅は現在の田園都市線の用賀駅に比べ、だいぶ桜新町寄りに位置していたことが分かる。

  • 玉電用賀駅跡の石碑

    玉電用賀駅跡の石碑

ちなみに、田園都市線用賀駅の西側に位置する世田谷ビジネススクエアは、玉電の車庫用地跡地を利用して開発された。

廃線跡探索は砧線の方が見所多し

用賀から二子玉川までは電車で移動することにする。二子玉川に到着したならば西口側(高島屋側)に降り、玉電の支線のひとつで、その距離わずか2.2kmほどの砧線跡を歩いてみることにしよう。実は、鉄道廃線跡探索という意味では、玉川線よりも砧線の方が見所が多い。ちなみに、砧線の廃線跡は、2010年に公開された『カラフル』というアニメ映画の中でも紹介されており、このアニメを見て玉電に興味を持った人も多いかもしれない。

  • 玉電 用賀駅(昭和40年代撮影。提供:東急電鉄)

    玉電 用賀駅(昭和40年代撮影。提供:東急電鉄)

まずは、高島屋の建物に沿って国道246号を北上し信用金庫の脇から、かつて砧線が通っていた細道に入ろう。通りの名前を示す標識には「花みず木通り(砧線跡)」と書かれており、少し先の道の角にはひとつ目の駅である「砧線中耕地駅跡」を示す石碑が立っている。他にも、車道と歩道の仕切りに砧線のものと思われるレールが使われている場所があるなど、砧線に対する街の人々の愛情が伝わってくる。

  • 道路標識にも砧線跡であることが書かれている

    道路標識にも砧線跡であることが書かれている

このまま道なりに歩を進めると、道は大きく左にカーブして野川を渡るが、川の手前に2つ目の吉沢駅があった。野川に架かる吉沢橋の中央に設置されている説明板によれば、この橋は元々、大正13(1924)年に砧線開通に合わせて架けられた鉄道橋であり、砧線廃止後に道路橋として世田谷区に移管されたという。

  • 吉沢橋の中央に設置されている説明板には、橋を渡る玉電の車両の写真も

    吉沢橋の中央に設置されている説明板には、橋を渡る玉電の車両の写真も

野川を渡ると住宅地の中を抜け、その先は、右手に東京都市大学のグラウンド、左手に水道施設の敷地を見ながら終点の砧本村駅跡に向かう。戦前は、吉沢と砧本村の間に大蔵という駅もあったようだが、昭和18(1943)年に休止駅となり、間もなく廃止されたという。

  • 砧本村駅近景(昭和40年代撮影。提供: 東急電鉄)

    砧本村駅近景(昭和40年代撮影。提供: 東急電鉄)

終点の砧本村駅は、現在の鎌田二丁目南公園から砧本村のバス停(ロータリー)になっている場所付近にあった。ペンキで水色に塗られているものの、玉電の駅の屋根の一部がほぼそのままバス停に転用されているのが興味深い。帰りは、ここからバスに乗れば二子玉川駅に戻ることができる。

  • 砧本村バス停。ここからまた二子玉川駅に戻ることもできる

    砧本村バス停。ここからまた二子玉川駅に戻ることもできる

廃線から半世紀が経ち、その痕跡はだいぶ少なくなってきているものの、わずかな手掛かりを頼りに玉電が走った記憶をたどっていくのは、なかなか楽しかった。今回、筆者はだいぶ電車を利用してしまったが、全線徒歩で踏破すれば、また新たな発見があるかもしれない。

筆者プロフィール: 森川 孝郎(もりかわ たかお)

慶應義塾大学卒。IT企業に勤務し、政府系システムの開発等に携わった後、コラムニストに転身し、メディアへ旅行・観光、地域経済の動向などに関する記事を寄稿している。現在、大磯町観光協会理事、鎌倉ペンクラブ会員、温泉ソムリエ、オールアバウト公式国内旅行ガイド。テレビ、ラジオにも多数出演。鎌倉の観光情報は、自身で運営する「鎌倉紀行」で更新。