――将棋に限らず、ポーランドでは日本の文化はどのように受け止められていますか

将棋はちょっと難しいゲームだから、そんなに知られてはいません。でも着物や生け花、折り紙などは日本の文化としてよく知られていますね。あとは、あやとりやけん玉も。サムライやニンジャも少し知られているかな? 日本のコミックも読まれています。「ドラゴンボール」や「ポケモン」、「遊戯王」、「ワンピース」などですね。アニメが好きな人は日本のアニメだとわかっているけど、そうでもない人は「アジアのもの」くらいにしか思っていないかも。

――日本に来て、驚いたことは何でしょうか

電車や地下鉄が時間通りに来ることですね。ポーランドの地下鉄は、何も言わずに遅れますから(笑)。自動改札もすごいですね。あと、日本はメロディが多いですね。電車のドアが閉まるときや電子レンジのメロディとか。お風呂や洗濯機が話すのもびっくりしました。「お風呂が沸きました」って(笑)。

――将棋以外で日本の好きなところはどんなところですか

アニメやマンガは今でも大好きですね。今は「はじめの一歩」にハマっています。最近、女流棋士の何人かで一緒にボクシングも始めたんですよ。もともと、ポーランドで柔術とかも習っていたんですよね。山梨にいた頃はカラオケもよく行きました。カラオケボックスはポーランドには無かったから。今はあるのかな?

栄養バランスが将棋のパフォーマンスにも影響

――カラオケボックスを日本で初めて経験されたとのことですが、日本に来てから初めて食べたものなどもあるのでしょうか

生ものは日本で初めて食べました。あとはたこ焼き。たこは最初、苦手でした。ポーランドには無い食べ物だったので。

――日本に来て、食事で困ることはありましたか

日本の食材がポーランドと違っていて、どう使えばいいかわからないんですよね。サワークリームなどの種類も少なくて。外食も、どんなものが出てくるかがわからなくて、しばらくは1人では行けなかったんです。写真や英語のメニューがあればわかるんですけど……。外食に行けるようになるまで、けっこう時間がかかりましたね。

  • 栄養バランスに優れた食事の必要性を感じるようになったと話すカロリーナさん

    最近は他の女流棋士と一緒にボクシングをしているというカロリーナさん

――最初のころは食事はどうされていたんですか

杉村先生(山梨学院大学教授)に一緒にスーパーに来ていただいて、いろいろと教えていただきました。あとはコンビニのお弁当とか。ファミリーレストランなら写真もあるので入れましたけど、1人で行くようになるまでは何年かかかったような気がします。

――その頃は栄養バランスなどを気にされていましたか

まったく気にしていませんでした。だから日本に来て、最初はちょっと太ってしまいました。日本の食べ物はおいしいしね(笑)。文化の違いやストレスもあったと思います。

――食事について、栄養面も気にするようになったのはいつごろですか

本当に最近、ここ1年くらいのことです。料理や食事のことは、本当は母に教えてもらえればいいんですけど、母はポーランドにいるので……。なんとか自分で考えるようにしています。ポーランドでは肉、ポテト、サラダの3つがバランスよくあるとよいと言われています。でもお弁当なんかを買うと、野菜が少ない。なるべく野菜をしっかりとろうとは思うんですが、でもサラダを別に買うと全部の量も増えちゃうんですよね(笑)

――食べすぎにならないように気をつけないといけなくなっちゃうんですね(笑)。栄養のことを気にし始めてから、将棋のパフォーマンスに変化はありましたか

逆に、食事をちゃんとできていなかったときに、集中力が切れてしまったことがあったんです。対局に負けてしまいました。そういうことが無いようにしていきたいですね。

――最近では企業からの栄養指導なども受けているそうですね

栄養指導をしていただいたり、体重管理をしていただいたりして、今後の食の戦略について、とても助かっています。体重の変化を気にするようになってから、「昨日は少し重いものを食べたから、今日は軽めにしよう」とか、バランスを考えて食べるようになりました。

――最後に棋士として、今後どのようになっていきたいですか

まずは将棋のスキルを上げて、レベルアップしたい。そして、将棋をもっと広めていきたいと思います。偉くなったとしても、変なことをせずに(笑)ちゃんと将棋をやっていきたいですね。

日本での暮らしに戸惑うことがあっても、日本の文化を大切にしながら将棋への情熱を燃やし続けているカロリーナさん。初の外国人棋士として寄せられている期待や注目は大きいが、それ以上の活躍を今後もきっと見せてくれるに違いない。

■プロフィール
カロリーナ・ステチェンスカ
1991年6月17日生まれ。ポーランド出身。2015年に将棋界初の外国人プロとなる。