――『アマゾンズ』では登場人物それぞれがヒトクセもフタクセもあるキャラクターとして描かれていました。完成映像をご覧になって、大勢のキャラクターの中で橘のポジションを確認したり、修正したりはされましたか。
まったくやっていないです。そういう(全体のバランスを見る)のは監督の仕事だと思いますし。全体を見るというよりは、シーンごとに自分自身の立ち位置をしっかりと見据えて、対峙する相手との関係性を把握するのみですね。
――Season1での「シグマ計画」など、橘は常にアマゾンやアマゾン細胞を利用して巨大な利権を得ようとする、明確な悪として描かれていますね。
あまり、そういうところはよくわからないで演じていることもありますよ。俺はいま、いったい何をどこに向かって話しているんだと、探りつつやっていますから。台本が随時上がってくるのですが、最終的にどのようなところに着地点があるのか。役者のほうが知らないで演技をするというのは、それはそれで面白いんですけれどね。小林靖子さん(Season1とSeason2全話の脚本を担当)も、『オーズ』のときからずっとやってきていますけれど、靖子さんの書かれた脚本に対しても、「僕はこういう風に演じます」と明確な意志表示をするつもりで芝居をしている部分があります。自分の演技を受けて、どうふくらませて(次の脚本で)返してくれるかな、という。役者と台本との勝負みたいなものもありますね。
――『オーズ』ですと、小林靖子さんの脚本に書かれたドクター真木像が、神尾さんの演技によって映像という形になり、その映像を観た靖子さんが真木のキャラクターをさらにふくらませて次の脚本に反映させる、ということなんですね。
『オーズ』で面白かったのは、いつも腕に乗せている人形(キヨちゃん)が落っこちちゃうと、真木がパニックを起こして慌てふためく、というシークエンスです。最初にやったときは、誰かに人形を落とされたとか、ささいなアクシデントだったんです。最後のほうになると、人形に火が着いてしまって、自分で投げて、それで自分がパニックになったりして。そういう台本が上がってくるんですよ。毎回、読みながら「今度はそう来たか!」と思っていました(笑)。
――真木がどこで人形を落としてパニックになるか、お約束シーンみたいになっていましたね。
ああいったシーンでも、台本には「パニックになる」「慌てふためく」くらいしか書いていないんですよね。それを読んだ監督が「じゃあここで何かやってください」みたいなことを言って、僕が好き勝手な言葉をしゃべるんです。
――『アマゾンズ』で橘を演じるにあたり、意識されたこととは何ですか?
"どれだけ若い役者にプレッシャーを与えられるか"ということを一番考えていましたね。特にSeason2。千翼を演じる前嶋曜くんと対峙する芝居のときです。石田監督も田崎監督も、前嶋くんを鍛えようとしていました。彼は芝居をするのが初めてだったので、芝居ではなく彼の本当の感情に突っ込んでいこうとしていたんです。あそこで表面的な芝居をやられても、物語がウソになってしまいますので、現場で彼の素の感情を引き出さないとダメでした。そのため、僕が彼に対して演技面から強烈なプレッシャーをかけ続けるよう、心がけました。
――橘といえば、Season2の第9話で千翼の暴走によって触手に捕まってしまい、全身の骨をコキッと折られてしまいましたね。誰しもがあそこで「橘さん、ついに……」と思っていたはずですが、第10話では車椅子に乗った状態で早々と復帰された姿が確認できて、安心しました。
あの回(第9話)では加納がやられましたし、僕も「死んだのかな?」と思っていました。正直、次がどうなるのか何も考えていませんでしたけれど、あれだったら普通死にますよね(笑)。でも、あそこで死んでいたら第10話以降の出番がなかったわけですし、橘としてもつまらない。だから、死ななくてよかったですよ。橘はとにかくしぶといんですね。もしかしたら、アマゾン細胞を自分の身体に移植していたのかな?とも考えたりはしましたが、そうでもなかったですね。単純に、しぶとい人間だったってことかな。
――途中退場どころか、Season2の最終回、エンディングロールが終わった最後に、橘による思わせぶりなセリフがエピローグ的に入りますよね。あのセリフが今後のさらなる事件を想起されますし、橘の「企み」がまだまだ終わっていないことを示唆していました。己の欲望に忠実で、人間ならではの残酷さを備える橘というキャラクターは、ある意味『アマゾンズ』の世界を象徴していると言ってもいいのではないですか。
橘をそういう風に捉えてくださると、役を演じた甲斐があるというものです。