駅の数を増やし、鉄道が使いやすいエリアを広げて利便性を高め、利用客を増やそうという施策は、何もJR西日本だけではなく、ほかのJR各社や民鉄、第三セクター鉄道にとっても一般的なものである。国鉄時代はさほど積極的とは言えなかったものの、それでも1981年開業の福知山線猪名寺(塚口~伊丹間)といった例もあった。

ただ、京阪神間に限って言えば、甲南山手の前に駅が新設された例は、1964年の新大阪までさかのぼるから、JR西日本となってからの方針転換ぶりが目立つ。

注目したいのは、先のリストで挙げた隣りの既存駅との距離。山崎~高槻間の7.5kmを筆頭に、3~4km程度、駅の間隔が空いているところを埋めるかのように新駅が設けられていることが、ご理解いただけるだろう。

「汽車」から「電車」へ

新駅増設前の京都~大阪間42.8kmには14駅あり、平均駅間距離は約3.3kmであった。同じく大阪~神戸間33.1kmには同じく14駅あって、平均駅間距離は約2.5kmとなっていた。それが、それぞれ3駅ずつ増えて、約2.7kmと約2.1kmに縮められた。大阪の都心部を走る大阪環状線の平均駅間距離が約1.1km。私鉄が建設した阪和線が約1.8kmであるから、まだ差があるが、それなりに近くなったとは言える。

JR京都・神戸線の駅間距離が長かったのは、国土の主軸となる幹線として建設されたからにほかならない。大阪~神戸間の開業は1874年(明治7年)。大阪~京都間の全通は1877年(明治10年)と、日本でもっとも早く建設された鉄道のうちの一つである。さらにこれらの区間は、東京~神戸間を結ぶ最重要幹線である東海道本線の一部となっている。

京都~大阪~神戸間が開通した時点で、中間に設けられていた駅は向日町、山崎、高槻、茨木、吹田、神崎(現在の尼崎)、西ノ宮、住吉、三ノ宮だけであった。明治から大正にかけての頃は、まだ沿線が田園地帯であったこともあるが、既存都市間の長距離輸送しか眼中になかったこともうかがえる。それ以外の駅は後世、昭和初期の電化、電車運転開始に合わせて開業したところが多いのだ。

つまり駅の増加は、この路線が大都市近郊の通勤通学輸送をも担うようになった、都市構造の変化(人口の郊外への流出)、ひいては輸送需要の変化を表している。技術的には蒸気機関車牽引時代から、加減速性能にすぐれた電車が使われる時代へと変わってきたということだ。「汽車から電車へ」の転換である。