漫画家・吉住渉によって1995年まで少女マンガ誌『りぼん』(集英社)で連載された人気作『ママレード・ボーイ』が満を持して実写映画化され、きょう27日より公開される。両親のパートナーチェンジしての再婚によって、同居生活することになった女子高生・小石川光希と、同い年の松浦遊……という衝撃的な設定に挑むのは今まさに旬をむかえている桜井日奈子と吉沢亮だ。
1994年からテレビ朝日系列で放映されていたテレビアニメ『ママレード・ボーイ』も幅広い層から支持を受け、「ボイスメモ」などの関連商品も大ヒット。実写映画化が発表された際には、主題歌を懐かしむ人も多かった。アニメのヒットを導いた東映アニメーションの関弘美プロデューサーは、同社にとって初の女性プロデューサーだった。
女性Pが初めて一人で立ち上げた企画
――まず、実写版の『ママレード・ボーイ』を観ての感想はいかがでしたか?
こうやって何年か経ってから実写で観れるのは、また新たな楽しみですよね。若い2人が本当にかわいくて、ぜひ実写版もヒットしてほしいと思っています。観ながら「あ、これは吉住先生が喜んでいるのではないかな?」と思いました。制服の色が、制服らしい色になっていて嬉しいんじゃないかなって。アニメの時は子どもに向けて作っていたこともあり、制服の色をグリーン系の色にしていたので。
――TVアニメの『ママレード・ボーイ』はどうやって始まったのでしょうか?
今でいうとプリキュアをやっている日曜朝8時半の枠を、少女ものにしようという試みで最初の作品が『ママレード・ボーイ』なんです。『ママレード・ボーイ』『ご近所物語』『花より男子』と3本続いたので、結果として「トレンディドラマ少女アニメ三部作」などと言われています(笑)。
『ママレード・ボーイ』は私にとって、初めて最初から一人で立ち上げた記念すべき作品なので、思い入れが強くて。色々な仕掛けもした記憶があります。
――原作のどんなところに惹かれたのですか?
吉住先生の作品は『ハンサムな彼女』から気になっていましたけど、当時のアニメーション業界では「連載中の作品をアニメにしないと、出版社にとってもアニメ会社にとってもメリットがない」というのが常識だったんです。その後に『ママレード・ボーイ』が始まって、「これは衝撃的な作品だ」と思い、ぜひアニメにとお願いしました。
ちょうどその頃、92年から『美少女戦士セーラームーン』を放映していまして、『セーラームーン』のターゲットが3〜6歳の女の子だったんです。だから、「『セーラームーン』を卒業する世代の女の子に向けたアニメを作れば、2つの作品で女の子を独占できるな」という考え方もありました(笑)。女の子の初恋の平均年齢は小学校5〜6年生、という統計がありましたので、その世代に向けてアニメを作ろうと思いました。
恋に憧れる世代にぴったり
――同じ枠の前の作品が『GS美神』で、どちらもリアルタイムで観ていたのですが、今思うとけっこう方向性は違いますよね。
それまでは会社としてもまだ方針が決まってなかったのだと思います。男の子ものだったり、もっと前に遡ると『メイプルタウン』のような幼児向けだったり、「この枠はどっちに行くんだろう」みたいな空気はありましたね。
――それが伝説の番組に。最初から手応えはありましたか?
ものすごくありました。1話の放送から反響がすごかったです。ある大きな出版社の偉い方のお嬢さんが「月曜に学校に行ったら、『ママレード・ボーイ』を見ていないのが私だけだった」と言って、お父さんのコネクションを最大限に使ってビデオを手に入れたという逸話もあります(笑)。
やっぱり恋愛が身近なようでいてまだ憧れで、それでいて対象となるときめきを感じられる相手が、芸能人か少女漫画の主人公か、みたいな微妙なお年頃。恋に憧れている世代にとって、ピタッとはまったんじゃないかなと思います。
――キスシーンもたくさんあって、家族の前で観るときはちょっとドキドキしていました。
もう、OPでキスシーンを入れちゃっていましたけど、吉住先生も「あんなにキスシーンが出てくるなんて思わなかった」とおっしゃっていました。会社にとっても衝撃的だったらしくて、1話の社内試写では、男性の役員たちが呆然として素通りしていって、何も言ってくれませんでした(笑)。うちの会社でも、女性のプロデューサーが一本立ちしてプロデュースするというのは初めてでしたし、あの時の役員たちの顔は一生忘れないと思います(笑)。