「ぷにジェル」の製造過程
メガヒットおもちゃの製造工場は、意外にも東京・荒川区の閑静な住宅街の一角にあった。昔ながらの温かな町工場の風情が感じられる工場内には、真新しい巨大な機械が鎮座している。そう、これが「ぷにジェル」を作るためだけに開発されたという機械だ。
このマシンで、日々せっせと「ぷにジェル」が作られ、パッキングされていくのだが、その前に手作業でシリコンのかき混ぜが行われる。ただ"混ぜるだけ"と思うことなかれ。これがスゴイのだ。
「ぷにジェル」に使用するシリコンは粘度が高い液体で、混ぜるのは相当なテクニックと体力を要する。この作業を担当する熟練の職人さんは、野球用のグローブを付け、実に巧みに液体をかき混ぜていく。
まんべんなく液が混ぜ合わされたら、今度は例の巨大マシンに流し込まれ、どんどん小袋にパッキングされていく。ちなみに、この小袋はA液とB液の2種のシリコンが仕切りを隔ててひとつの袋にパッキングされた特殊なもの。片方の液を両手の親指で押し込むと仕切りが破れてもう片方の液と混ざり合う仕組みになっているのだが、ご想像の通りこれを実現するには凄まじい技術力を要する。工場長の小松さんが2年の歳月を費やして開発したものだという。
ちなみに、取材時は4月26日に新発売される「光るぷにジェル」こと「ぷにジェル ゆめぷにスターライトセット」の試作が作られていた。暗いところで発光するのは子どもたちにとっても嬉しい限りだろう。ちなみに、すでに「ぷにジェル」はカラーバリエーションが23種あるのだが、1日に製造できるカラーはたった1種だけ。機械の中に残った液体がすべて流れ落ちるのに時間を要するため、1日に1種しか作ることができないという。技術だけでなく、製造には多大な時間も要するので大量生産はできないのだ。
機械、パック、シリコンの液……すべてが「ぷにジェル」のためだけに新開発されたもの。しかも職人の手作業や多大な時間も要するとあって大量生産もできない。その製造には、実に手間暇がかかっていることがわかった。ただ、そんな物質的な面だけでなく、この"前例のないおもちゃ作り"に挑戦するためには、きっと並々ならぬ熱意があったに違いない。次項では、そんな開発背景について「ぷにジェル」発案者のセガトイズ・山田さんと工場長・小松さんに話を伺った。
「ぷにジェル」が大ヒットした理由
「最初、『これは作れない』ときっぱり断られたんですよ」。そう話すのは、ぷにジェルの発案者でもあるセガトイズの山田さん。当初、シリコンをパッキングするという前代未聞の提案に、工場の小松さんから技術的に難しいと断られたのだという。しかし偶然、シリコンのパッキングに使える素材が見つかり、商品開発が可能になった。
「工場の小松さん、専用の製造機を作ってくれた人、シリコン液を開発してくれた人、全員が"もっといいものができないか"と面白がりながら、そして熱心に商品開発の研究をしてくれたんですよ。それが、本当に嬉しかった」と山田さんは話す。
小松さんは「そもそも作るのが大変なのに、色も種類もどんどん新しく増えていくからさ、ホント困ったもんだよ(笑)」とぼやいていたが、その顔はなんだか嬉しそうだ。また、最後にこう話していたのが印象的だった。「次から次に新しいものに挑戦できるのが面白い。あと、子どもが喜ぶ顔って素敵でしょ? "面白い"が"素敵"に繋がるなんて、こんな嬉しい仕事はないよ」
最後に、皆さんの集合写真を撮らして欲しいとお願いしたのだが、丁重に断られた。「今日は、〇〇さん(『ぷにジェル』製造機を開発した方)がいなくて、『ぷにジェル』の生みの親が全員揃っていないから、悪いけど撮れないよ」と。なんか、いいなと思った。そんな作り手たちの絆があってこそ、「ぷにジェル」が生み出されたのだろう。
今、子どもたちが目を輝かせながら遊んでいる「ぷにジェル」。その背景には、子どもたちと同じように目を輝かせながら商品づくりに力を注ぐ大人たちがいる。商品がヒットした一番の理由、それはこの町工場が紡いだ大人たちの"モノづくりへの想い"に尽きるのではないだろうか。