――ドラマ冒頭の長回しは、まさに黒沢監督ならでは。撮影にあたり、映画とドラマの違いは意識されているんですか?
ワンカットを長く回すのは、スケジュールがあんまりないからという事情もあるんです(笑)。特に、映画だからとか、テレビだから、というのは分けてはいないですが、でもやっぱり、どこか映画と同じようにしたいという欲望がありまして。よく見ていただくとわかるんですけど、このドラマは横長のシネスコサイズになっているんです。
――スピンオフドラマだから、映画版とのつながりを感じさせるためですか?
このところずっとシネスコサイズで撮っているので、やはり自分の作品として、シネマスコープで撮ってみたいと。「どうしてもダメなら、テレビのサイズにしますが、もし可能なら……」と言ったら、WOWOWの方が「大丈夫ですよ。なんとかします!」って頑張ってくれました(笑)
――ドラマ版では画面のあちこちに白い光が出てきます。ぼーっと、白いものが画面のあちこちに浮かんでいるだけなのに、得体の知れない魔力のようなものを感じさせます。
映画版では、「概念を奪いますよ」っていうときに、ふっと光が射すという演出をしていますが、今回はかなり露骨に、頻繁に、意図的に遠くで何かが光っているようにしました。ある種の異変というか、映画版を上回るおぞましいことが、「あちこちで既に起こってます」という気配を表現したかったんです。
――今回、ドラマの脚本は高橋洋さんも務められていますが、高橋さんが5年くらい前に監督された『恐怖』という映画のなかに、やはり白い光が出てくるんですよね。
確かに。ただ今回は、高橋くんの脚本には、一言も「光」とは書いてありませんでした。ということは、僕が誘導されちゃったのかな(笑)? いや、でも、高橋洋テイストはやはり作品全体から強烈に立ち昇っていると思いますね。僕にはとても発想できないおぞましい何かが。
――例えばどういうシーンですか?
一番強烈なのは、やっぱり染谷将太さんの有りようですよね。悪いと知りながら、どんどんそっちにはまり込んでいって、抜け出せなくなる。染谷さんのあの感じは、はっきり高橋テイストなんですよね。とんでもないことをしておきながら、家に帰って「あぁ、どうしよう、こんなことやっちゃった……」って反省をしてるっていう、矛盾に満ちた人なんですけどね。東出さんと染谷さんのコンビがエスカレートしていく様も、まさに高橋テイストでした。
――夏帆さん演じる悦子の、強くて自立した女性像も印象的でした。
高橋くんに悦子も任せると、どんどん正気を失っていく……(笑)。相手は宇宙人で、こっちが狂人だったら、観ている人がどうしていいのかわからなくなるので、夏帆さんはあくまで正気のまま、染谷さんをこっち側に引き戻す役割で。高橋くんが「悦子をどうしよう?」と言うので、悦子のパートは主に僕が脚本を進めていきました。
――侵略者は、映画版とドラマ版でいろんな「概念」を奪うわけですが、ドラマ版では、「死の恐怖」の概念を侵略者は盗んでいますね。
「死の恐怖に取り付かれた」っていうのは高橋くんの発案です。あんなことは僕には思いつけません。ただ、僕も高橋洋の理解者としては一端の自負があるので、高橋テイストを十分理解した上で、マイルドに翻訳して三人の俳優たちにちゃんと通訳できたのは、僕の力だということにしておいてください(笑)。
――悦子からは「概念」を奪えないっていう設定も、映画版とは異なるところですね。
こちらも、発想自体は高橋くんですが、このドラマの最後の拠り所として、夏帆さんだけが正気のまま東出さんの前に立ちはだかって欲しいというのは、唯一僕が高橋くんにお願いしたところで。世界全体がもう完全に麻痺してしまっている状況のなかで、夏帆さんだけが微かな望みになって欲しい、というのが僕の思いでした。今回はハンディを背負わず、正気のまま、もしかしたら、たった一人でも生き残る、そういう過酷で凛としたヒロインを夏帆さんには演じてもらいました。大成功だったと思うのですが、どうでしょう。
――監督ご自身は、もうすぐ世界が終わるとして、もし助かる枠があるとしたら生き残りたいですか?
いやぁ、どうですかねぇ。ただ、割と映画のなかで、セリフとして言っていることは本音でもありますね。世界が終わるとしても、今も特に何もしていないじゃない? このまま続くだけでしょ? どのみち世界はいつか突然終わるでしょ? っていう、ややニヒリスティックな考えはありますが。一方で、本音として、ごく何人かの親しい人だけ生き残れるのであれば、もうそれで充分なんて、都合の良いことも思いますよね。
――侵略者の威力を表現するために、工場や病院の中をずんずん歩くだけで、人がバタバタバタ……って倒れていくシーンが素晴らしかったです。
あれ、やりたかったんですよ! 大して予算がかからず、特殊効果もなく、ものすごい力がある気がしません? ってことで思いついた表現なんですけど。やってて楽しかったですね。
――こんな風に倒れてください、このタイミングで、と指示を出されたんですか?
いやいや、そんな細かい指示は出していませんが、あの中には、いわゆるエキストラの人と、倒れるのが上手いアクションのできる人が混じってるんです。だからよく見ると、見事にバーンと倒れる人と、躊躇してヘロヘロって倒れる人がいて、それがいいんですね。いろんな倒れ方をしてくれる。タイミングにバラつきがあって。それがまた個性があって、いいなぁと思って。
――まさに、このドラマの見せ場ですもんね。
あのシーンがもっともデラックスなので(笑)。まさに、実写の映像作品を撮る醍醐味ですね。ただ人が倒れるだけで、画面にくぎ付けになってしまう。作者が狙ったのではなく、偶然に本当にそれが目の前で起こった感じがする。これぞ実写映像の力だと思います。デジタル全盛の時代ですが、実写映像の猥雑さ、泥臭さといったものは、本当に豊かなものだと信じています。視聴者のみなさんがそんなことを少しでも感じてくれたら、それだけで作った甲斐があったということです。ドラマを見て、「映像にはまだまだいろんな可能性があるんだな」と思ってもらえたら、何よりですね。