「たません」という食べ物をご存じだろうか。全国のほとんどの人は「何それ?」と首をかしげるかもしれないが、それもそのはず、名古屋とその近郊でしか食べられない、駄菓子屋生まれのB級グルメなのだ。
鉄板で温めたたこせんべい、もしくはえびせんべい(これも愛知県が主産地)に、お好み焼きソースを塗り、目玉焼きを軽くつぶしてせんべいの上にのせ、マヨネーズを塗る。せんべいを割って二つ折りにしたら出来上がり! 近年人気が上昇している背景や、そのルーツ、魅力について紹介しよう。
昭和30年代の駄菓子屋がルーツ
もともとは、昭和30年代頃の駄菓子屋がルーツと言われる「たません」。パクリとかぶりつくと、パリパリとした食感が小気味良いせんべいとアツアツの目玉焼き、ソースとマヨネーズのまろやかさが口の中で1つになる。お好み焼きをよりチープにしたような、よく言えば素朴な、もっと率直に言えばジャンクな味わいだ。
当時の駄菓子屋では、おでんやお好み焼きなどを調理して提供する店も多かったため、お好み焼きのアレンジのような形でせんべいを使うたませんが生まれたとされている。
名古屋は全国一の駄菓子生産地で、駄菓子屋自体も多い。また、愛知県の西三河地方はえびせんべいのこれまた日本一の産地。地域の産業とゆかりのあるたませんは、生まれるべくして生まれたご当地グルメと言えるだろう。
名古屋一の駄菓子問屋街、西区明道町の「辻商店」で店主の辻信嘉さんを訪ねると、たませんのルーツについて答えてくださった。「笠寺(名古屋市南区)にあった『竹内商店』のご主人が考案したという話を聞いたことがあって、確か本人がテレビの取材を受けたこともあったはず。でも、ずいぶん前にお亡くなりになって、店ももうありません」。
たませんの最盛期は、町内に必ず1軒は駄菓子屋があった昭和30~40年代で、「当時はせんべいが1週間で2,000枚は売れていたけれど、今は1カ月で1,000枚売れればいい方だね」とのこと。たこせんべいを半世紀以上作っている「牧商店」(愛知県碧南市)の牧全次さんも、「昔は近所にせんべいのメーカーがたくさんあったけれど、今は数えるほど」だと言う。
普及エリアは名古屋周辺の限られた地域
名古屋とその近郊でしか食べられないとされるたませんだが、どのあたりまで普及しているのだろうか。観光協会や友人・知人に尋ねてみた。
愛知県
「お祭りの屋台では見かけます。6~7割の人は分かるのではないでしょうか」(犬山市観光協会)
「縁日の夜店で見かけるくらい。地域の食文化として浸透しているという印象はありません」(岡崎市観光協会)
「たませんですか? 見たこと無いですね。(他の職員さんに尋ねてみると)屋台ではたまにあるようです」(豊橋観光コンベンション協会)
「豊田では見かけませんでした。大学の学祭で初めて知りました」(豊田市出身・40代)
「駄菓子屋のおばちゃんが焼いてくれて、週1~2回通っていました」(名古屋市東区出身・40代)
愛知県外
「なんとなく聞いたことがある気はしますが、よく知りません」(岐阜観光コンベンション協会)
「私が住む四日市では屋台でたまに見ますが、職員の中には知らないという人も」(三重県観光連盟)
「せんべいを焼いて挟むやつですよね。お祭りの屋台ではよく見かけます」(伊賀観光協会/三重県)
「食べたことあります。昔からあったと思います」(三重県桑名市出身・40代)
「知りません。どんな食べ物なんでしょう?」(浜松観光コンベンションビューロー/静岡県)
「見たことも聞いたこともありません」(彦根観光協会/滋賀県)
「たません? 何ですか、それは」(東日本菓子協同組合/東京都)
愛知県内でも三河地方では認知度が低く、名古屋以北の尾張地方では比較的知られているよう。県外では、三重県にはある程度伝わっているが、それ以外ではほとんど認知されていないようだった。また、県外においては駄菓子屋よりも屋台で見る、という回答が多かった。いずれにしても、名古屋を中心に限られたエリアで広まった食べ物であることは確かなようだ。
さらにその存在は、近年少しずつ見直されつつあるという。次ページでは、バラエティに富んだ魅力あふれるたませんを提供する駄菓子屋や屋台を紹介しよう。