一方、クリックベイトは「ウソではないけれども、PV獲得のために“過剰”なタイトルなどを使って集客する記事」(関氏)のことで、フェイクニュースとは異なる問題だという。過剰なタイトルで読者の興味を喚起し、リンク先をクリックさせる。そこに掲載された記事は確かにウソとはいいきれないが、期待していた内容とは異なっていた……という記事のことである。
こうした記事は“読み足りない”“何かモヤモヤする”“だまされた気分”といった心境を読者に生じかねさせない。つまり、クリックベイトが多用されているニュースサイトは、結果的に読者の信頼を損ねることになる。
関氏は「クリックベイトは情報配信プラットフォームに不利益をおよぼす可能性があります」と指摘する。アルゴリズムで掲載記事を選定している以上、その精度によってはクリックベイト的な記事が掲載されることも考えられる。そうしたことが続けば、結果的にアプリのアンインストールにつながる恐れがある。
Gunosyとしては、ユーザーにアプリを長期間快適に使用してもらうためにも、アルゴリズムの改善に取り組んでいる。だが、掲載された記事内容は“ユーザーの主観”によって、クリックベイトなのかそうでないのか判断されるという難しさがある。関氏は“クリックベイトは何か”を知ること、離脱や記事のスクロール速度など、中長期的なユーザー行動の観測データを蓄積・分析する試みが今後必要になるという。
クリックベイトのおもな事例
では、クリックベイトにはどんな事例があるのか。Gunosyによると「誤読誘発型」「画像想起型」「過剰表現型」に分類できるとする。
誤読誘発型は、たとえば「石原さん、交通事故か!?」というタイトルの記事が載れば、多くの人が今をときめく女優の事故に思考を結びつけやすい。ところが記事を読むと“気象予報士の石原さん”だったという場合だ(石原さとみさん、石原良純さん、変な例にお名前を拝借してすみません)。
画像想起型は、「あの国民的アイドルが本気グラビア!?」というタイトルとともに、衣服が確認できないトリミングでサムネイル画像を掲示。実際にその記事を開くと、タレント事務所が用意した普通の「宣材写真」だったという場合が当てはまる。
過剰表現型は、「マイナビ入居ビル崩壊序曲!?」というタイトルだが、フタを開けてみれば“トイレのドアが壊れた”とか“床のパネルが数枚はずれた”とか、到底“崩壊”には結びつかない内容だった場合を指す。
では、なぜこうしたクリックベイトが目立つようになったのだろうか。前出の関氏は「ネットの広告技術が進化し、PVに応じた広告収入を得られる仕組みが定着したからでしょう」と話す。2000年台前半までは、一定のPVに対し定額の広告料をクライアントに請求するのが一般的だった。だが、アドネットワークの進化により、多くのニュース媒体がPVに応じた広告収入を得るようになった。収益を上げるため、より読者が集まりそうな記事、つまり、クリックベイトが増えていったのではないかと分析する。
書き手、つまり編集者や記者の意識も変わっていった。一度、クリックベイト的な記事で多くのPVを獲得した場合、次に記事を作成する際に“あおり”に対する抵抗感が薄れてしまっていく。もちろん、すべての書き手がそうではないが、一部の記者がエスカレートしてしまったことも考えられる。
こう聞くと、クリックベイトは最近の問題のように思えるが、古くから似たような手法は存在している。たとえばスポーツ新聞。紙面の折り方や販売ラックへの陳列の仕方により、ショッキングな記事見出しになることがある。近年では「ノーバン始球式」といったタイトルをよくみかけるようになった。
ただ、クリックベイトを肯定するわけではないが、紙面の折り方はある意味、エンターテインメントにまで昇華した感はあるし、“ノーバン”はプロ野球シーズン開幕を告げる“風物詩”ともいえなくもない。どちらも“あおり”がユーザーにある程度容認された、希有な例といえる。
さて、クリックベイトの“クリック”はそのままの意味。“ベイト”は日本語で“エサ”を表す。ルアーフィッシングでは、小魚の形をした疑似餌がベイトと呼ばれている。そして日本では、強いあおりで読者を集めることを古くから“釣り記事”という。言葉が生まれた国は違っても、どちらも釣りを想起させる表現になっていることに「オモシロイ」と感じた。ただ、かくいう筆者は、魅力的なタイトルにさんざん釣られてきた“クチ”で、もし魚だったら“もうこの世にはいない”であろうが……。