ラジコンがくれるおしぼり
さて、一仕事終えたマスターは再びホールに出てくると、我々の席にやってきて「すみません、お待たせして」と一言。あれ? 意外と普通だ、と思ったのも束の間、「もう始めちゃっていいですか?」と聞かれたのでうなずくと、頭におしぼりを載せた某ヒーローのラジコンが席に進撃。通路側にいたツヨシに体当たりして止まった。
ここまで相当濃密な時間を味わったが、状況としてはまだおしぼりが席に配られただけであり、店によっては入店した瞬間に済んでいるような段階である。加賀屋の真価は当然まだこんなものではない。「飲み物を頼もう」と言って広げるメニューは「ジャポニカ学習帳」だが、すでにこの程度では誰も驚かなくなっていた。
オーダーは大きな声で!
問題はメニュー名である。「加賀屋」のメニューは、基本的に3種類のコース料理とアラカルトのドリンクのみだ。今回我々が選んだのは、料理と飲み放題付きのコース。その名も「マスター 今日ははっきりいってこわれたいんだよね。だから のみ放題で おいしいもん たくさん食べさせてよ」(4,320円・税込)である。
押し付けあった末、ツヨシがオーダーすることとなり、「マスター 今日は(略)」と言うと、マスターから「あのね、それはただ字をなぞってるだけ。俺奥の方にいるからさ、もっと感情こめて『お~いマスター!』って感じで呼びかけてみてよ」と演技指導が入ってオーダーをやり直すことになった。
「お~~~~~いマスター! 今日は、はっきり言って…………、こわれたいんだよね!! だからさ、飲み放題で、おいしいもんたくさん食べさせてよぉ~!」
ツヨシは完璧にやりきった。これにはマスターも満面の笑みで「はいよー!」と応える。我々の席だけでなく、店内の全員から拍手喝采。心地よい一体感が生まれた。ところでここで思い出しておきたいのだが、我々はまだメニューをオーダーしただけである。違う言い方をすると、まだ自己紹介もできていない。
筆者がそのタイミングをうかがっていると、マスターが飲み物のオーダーを取りにきた。ちなみに加賀屋のビールは瓶ビールだ。とりあえず中瓶を4本頼む。
するとマスターが「持ってき方はどうしますか?」と聞いてきた。メニューをよく見ると、たしかにドリンクの下に「持ってき方をきめてください」と書いてある。バリエーションは「アメリカ」「日本」「中国」「イギリス」「ブラジル」「フランス」の6種類。
「フランス」の字を見た時、筆者の脳裏には入店時に焼き付いたあの光景が広がっていた。
キレッキレの日本舞踊でビール到着
話し合いの結果「日本」で持ってきてもらうことになり、ここで到着が遅れていたハナコさん(仮名)が到着する。
6人そろって着席すると、扇子を持ったマスターが現れ、立ち上がって日本舞踊を舞い始めた。その動きにはキレと迫力があり、どんと床を踏みしめた時にはここは能楽堂か、と錯覚するほどだ。
このパフォーマンスには隣のテーブルで宴会をしていた英会話講師の一団も大喜び。ちなみにこの間、注文したビール瓶はずっと奥に置いてあり、この後マスターは普通にそれを持ってきた。
後から聞いた話では、マスターは日本舞踊の名取(なとり)なのだという。
マスターは合コンマスターだった
そして開始から30分、ようやく6人そろっての乾杯に成功した。
料理も次々と運ばれてきた。ひじき煮や寒ブリの煮付け、山盛りの浅漬けなど、日本の家庭料理といった趣だ。濃い目の味付けでビールが進む。
このとき、割り箸と一緒に箸置きが配られるのだが、その独特のチョイスとマスターのセンスが光る箸の置き方でも盛り上がれること間違いなしだ。
そしてようやく自己紹介タイムに移る。とはいえ、入店直後から繰り出された数々のパフォーマンスにより場は自然と暖まっており、会話もたくさん交わされていたので探り合いの気まずい空気を味わわずに済んだ。まるで2時間前からこのメンバーで飲んでいたような空気感だ。
マスターの強烈なリーダシップが、この合コンを回している。そう感じた瞬間だった。
ちなみに平常時のマスターは非常に静かで、キッチンのそばで料理を見たり飲み物の点検をしたりしている。オン・オフの切り替えがきっちりしたデキる男だ。