発表会には女優の比嘉愛未さんも駆けつけた

つまり、とにかく“ブレない”製品づくりというのが製品から見て取れた。レッツノートが20周年を迎えたとはいえ、パナソニックはNEC、富士通、東芝に比べればパソコン市場では新参だ。だが、かたくなにコンセプトを貫くことで、モバイルPC分野では存在感を確固たるものにした。

では、どのような軌跡を描いたのか……。

パナソニックによると、13型未満のノートPC+コンバーチブルPCの分野で、12年連続シェア1位を獲得しているらしい。発表されたデータは2004年からとなり当時は19%でシェア1位となった。この年はインテルがセントリーノを発表した翌年で、このあたりからモバイルPCへの需要が高まり、2000年台後半になると街中でのWi-Fi環境が整備され、多くのビジネスパーソンがモバイルPCを持ち出すようになった。レッツノートの軽さ長時間駆動が、多くのビジネスパーソンに評価されたのは想像にかたくない。そして2015年、レッツノートは63%のシェアを獲得。一人勝ちといわれるのもうなずける。

発表会で示されたシェアの変遷(出所:IDC Japan,Japan Persnal Computing Quarterly Analysis,2015 Q4)

スマートフォンの普及により、パソコン市場は苦戦している。JEITAの統計によれば2015年度のノートPCの出荷金額は前年比83.5%と低迷した。その中にあってモバイルノートは前年比99.1%となんとか横ばいを死守している。こうした市場傾向もレッツノートの好材料になったのかもしれない。

社名変更時に起きたトピック

さて、パナソニックといえばある記憶がある。2008年1月10日午前、レッツノートの開発者とPR部隊数人は、製品プロモーションのため大阪から新幹線に乗り東京に向かっていた。おそらくその新幹線に乗っているあいだであろう。松下電器産業はパナソニックへと社名変更し、それを発表した。

そして午後一が筆者のいる編集部へのプロモーションだった。編集部を訪れたレッツノートPR部隊の方々に「御社、社名が変わりましたね」と問いかけたところ、みなさん、目を白黒させていた。社内での情報統制がよほどシッカリしていたのだろう。加えて新幹線に乗っていたため最新ニュースに触れられなかったのもタイミングが悪かったようだ。