このように所得や食文化といった個人レベルでは太刀打ちしづらい側面も含む健康格差。この悩ましい問題を解消するための糸口となるモデルケースが続けて紹介された。
まずはイギリスの事例だ。イギリスでは、脳卒中や虚血性心疾患の死亡者数を8年間で4割減らすことに成功した。これらの疾病は、低所得がかかりやすいとされているが、イギリスは高血圧などの心疾患を招く塩分を減らすことに着手したとのこと。
その旗手となったのが「イギリス食品基準庁」。2006年に85品目の食品に塩分量の目標値を設定し、メーカーに自主的達成を求めた。その理由は、主食であるパンが国民の最大の塩分摂取源となっていたためだが、メーカー側は売れ行き減を懸念。見かねた医学や栄養学などを専門とする科学者団体「CASH(塩と健康国民運動)」がメーカー側に徐々に塩分を下げるように提言した。
この提言に大手パンメーカーによる業界団体も納得し、7年でパンを20%も減塩。こういった取り組みの結果、国民1人当たりの塩分摂取量を15%減らすことにつながり、年間で2,000億円の医療費削減につながったと考えられている。
飲食店に「ベジタブルファースト」を依頼
日本からは糖尿病患者を減らした東京都足立区の事例が紹介された。そもそも、同区の健康寿命は23区の平均よりも2歳短いという現実があったが、同区民の平均年収は23区最低の300万円台前半で、港区の3分の1程度。ここにも、「カネと健康」の問題があったわけだ。
同区の場合、健康寿命を押し下げている要因は糖尿病だった。23区で治療件数が最も多く、合併症を起こせば人工透析も必要になる。早急に対策を打たねばならなかった。
そこで足立区は、区民の健康への意識が低くても「自然と」健康になれるための策を練った。まず実行したのは飲食店巡り。お客のお通しに野菜を提供するようにお願いし、肉のメニューと野菜のメニューを同時に頼まれても、必ず野菜から出してもらうように店側にお願いした。
その理由は血糖値の変化にある。野菜を炭水化物よりも先に摂取することにより、食物繊維が糖の吸収を遅らせて血糖値の変化量を約30%抑えられる。そのため、自然と糖尿病予防に役立つというわけだ。飲食店だけではなく、スーパーマーケットも総菜に入れる野菜を以前より増やすなどの取り組みをして、区の健康寿命押し上げに協力した。
さらに、行政側は足立区内に住む子どもたちに幼いころから野菜を食べる習慣をつけてもらうための努力もした。足立区のこころと体の健康づくり課 馬場優子課長は「大人になってから『野菜を食べて』『朝ご飯を食べて』と伝えて実践してもらうのは大変難しい」と、その意図を説明する。
具体的には、区立のすべての保育園で野菜を食べる日を設け、調理は子ども自身が担当することで、楽しみながら野菜を摂取してもらっている。こうした取り組みが奏功し、同区の1人当たりの野菜消費量は年間で5kgも増えたという。
この2つの事例は、行政が私たち一人ひとりの生活に気づかないうちに"介入"して、より健康な体へと導いてくれたケースと言えるだろう。
低所得者の要介護リスクは高所得者の2倍
最後に紹介された具体例は、「高齢者の健康格差」。国民4人に1人が高齢者という超高齢社会の日本では、今後も高齢者が増えていくことが予想されている。年齢を重ねるにつれ、介護が必要になってくる可能性も高まってくるが、介護される人の割合にも所得が関わっている。
要介護認定をされた低所得者と高所得者の割合を見ると、男女ともに低所得者の方が要介護リスクが2倍高くなるとするデータがあるとのこと。その理由として、所得が低いほど、外へ出歩かずに部屋に閉じこもりがちになり、身体機能や気力が低下するためと考えられている。
ハーバード大学 公衆衛生大学院のイチロー・カワチ教授は「健康格差は命の格差につながっていると私は思います。このままにしておくと日本の長寿大国は危ない状況になってしまう」と警鐘を鳴らす。そのうえで、「社会参加と交流は健康を保つ要因としてわれわれは注目しています」と、高齢者の健康格差を縮小させるカギとなるのは「社会参加」だと話す。