足かせの中を逆走してきた

――"エンジニア"に自分の姿を重ねたりしますか?

俺はそこまでワイルドな人生じゃないけどさ。公務員の息子で平々凡々と生きてきたから。でも、ロックの世界に入ってからは、ああしろ、こうしろっていう足かせの中を逆走したっていうのはあるけどね。

――どういう形で逆走してきたんでしょうか。

俺の中高生のときは、いい大学に入っていい会社に入って一人前という道筋がはっきりしてて、そこに向かわないとお前はアウトロ―なんだという日本全体がそんな学校教育だったから、個性みたいなものが尊重されないところがあったんだよ。俺はかたい家庭で育ったから、ロックなんてもってのほかで、その上、当時はロックが商売になるなんて夢のまた夢だったね。

中学2年でロックに目覚めて、大学5年生でデビューしたけど(笑)、ロックスターになるか、親が喜び安心させる事ができる公務員になるかと言う選択で迷ってたね。

――好きなことをやることを選んでも、続けることは大変だったのでは。

22のときに本を読んでさ。自分が自分の人生の主役。好きなことを選ばないと本当の幸せは得られないっていう言葉が、響いちゃったんだよね。そんなとき、親父が死んだ。悲しかったけど、そこでひとつの山は越えた。でも、鮮烈なデビューをして西武球場や武道館でLiveもやったんだけどバンドは解散して、好きなことでお金にならなかった時代もある。 『成り下がり』って本を書いた。でも、自分で選んだ好きな道だから苦労を苦労とは思わない。

あのころ罵倒していたバラエティにも

――その後、第2の山はありましたか?

耐えずジェットコースターみたいな感じだよ。バラエティを始めたのも転換期だったと思うしね。レッド・ウォーリアーズというバンドを知ってる人からしたら、あの時代からしたら、最も遠いバラエティの世界に出てるのを見て、「コイツ大丈夫かな」と思ってただろうしね。でも、挑戦するっていうのは、意味があると今はそう思ってる。

――バラエティをやってみて、得たものってありますか?

最初は、役者の仕事が入ったって言われて、いざ行ってみたら『踊る!さんま御殿!!』だったんだよ。自分としては素で話してたんで、何が面白いかわからなかったけど、やってくうちに、これはこれで一つのエンタテインメントだなと。お客さんを楽しませるという意味ではロックと共通してるよね。

――そこにはすぐ気づいたんですか?

最初はオファーが来るからやってたんだけど、一年たったらやめようと思ってました。でもやってるうちに勉強することも多いし、新しい発見も沢山あって、そんなときに子供を授かったりもして、世間の人達の見え方も変わって来たような気がして、目の前にあることは、実は意味があるんだなと思えるようになった。

――この『ミス・サイゴン』に今出会うことも意味ですよね。

もちろん。「アメリカン・ドリーム」に雷に打たれて、歌いたいって思って、オーディションを受けてさ。でも果たして俺にできるのかっていうプレッシャーは今も持ってて、大きな関門だね。でも、挑戦することに意味があるんだ。挑戦してるときって、魂がキラキラするんだよね。

――これから稽古、そして本番ですけど、どういう舞台にしていきたいですか?

今は、何がどうなっていくのかまったく分からないけど、小さな光だけは見えていて、それに向かってるところです。俺って、いつもロックロック言ってるけど、見に来てくれる人には、キムとクリスのストーリーはとても痛くて悲しい事であるからこそ、ベトナム戦争時代の混沌とした八方塞がりの中で自分の夢に向かって逞しく生きるエンジニアのロック精神を感じてもらえたら嬉しいな。ロックミュージシャンである自分にしかできない自分なりのエンジニアを表現できたらなって思っています。


西森路代
ライター。地方のOLを経て上京。派遣社員、編集プロダクション勤務を経てフリーに。香港、台湾、韓国、日本などアジアのエンターテイメントと、女性の生き方について執筆中。現在、TBS RADIO「文化系トーラジオLIFE」にも出演中。著書に『K-POPがアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK出版)などがある。