去る10月30日、カシオのアウトドアウオッチ「PRO TREK(プロトレック)」シリーズの最上級ライン「MANASLU(マナスル)」から、新モデルの「PRX-8000T」が発売になった。
これを記念して、開発者であるカシオ計算機 時計事業部の牛山和人氏と、ヒマラヤにそびえる8000m峰14座を日本人として初めて完登したプロ登山家であり、PRO TREKシリーズの開発アドバイザーを務める竹内洋岳氏のトークイベントが開催された。歴代モデルの開発秘話から、最新モデル「PRX-8000T」へのこだわりまで、興味深い話が次々に飛び出した2人のトークをレポートする。
竹内氏とPRO TREKの関わりは、今から10年前、2005年発売の「PRW-1000」にさかのぼる。このモデルはシリーズ初の電波ソーラー化を実現するなど、開発チームとしては「集大成に近い商品」(牛山氏)との自負があり、竹内氏にも満足してもらえると信じて疑わなかった。しかし、竹内氏の反応は予想外のものだった。
竹内氏「『この時計をして8000m峰に登ってください』と手渡された時点で、私は『嫌だな』と思ったんです(笑)。なぜなら、デカすぎるから。実際に、山ではバックパックのバンドやロープに引っかかって、とにかく煩わしかった。とはいえ、高度計としては便利だったので、腕につけるのではなく、ひもを通して首からぶら下げていたんです」
腕時計として使ってもらえなかったことを知ってショックを受けた牛山氏は、その後「登山者が本当に使いやすい時計を開発するため、自分も登山をしなければ」と山岳会に入会。竹内氏が言うように薄さが重要であることを身をもって体験し、そこで開発したのが「PRW-1300」(2007年発売)だった。このモデルでは本体を薄くするため、ユーザーに好評だった2層液晶をあえて外すという思いきった決断をしている。
竹内氏「牛山さんをはじめ開発の方々は、2層液晶に誇りを持っていました。なのに、私が『薄くするためにとってください』と言ったものだから、それはそれはものすごい反発がありましたね(笑)」
牛山氏「2層液晶を外すことについては、開発者としての葛藤のみならず、社内でもずいぶん議論がありました。人気のある機能だったので、『それを外して大丈夫なのか』と」
とはいえ、そうした喧々諤々の議論の末に実現した薄型化によって、初めてPRO TREKは竹内氏に「腕時計」として使ってもらえることになったのだ。