職業訓練校で痛感した「ママたちの悩み」
そもそも甲田さんは、超がつくほどのキャリアウーマンで、ワーキングママ。結婚、出産をはさみつつ、IT企業のニフティやベンチャー投資会社で広報・IR等を担当してきた。
しかし2009年、キャリアウーマンの肩書は「失業者」に変わった。前年のリーマン・ショックの余波で会社の業績が低迷。3歳の娘を抱えて、リストラ宣告された。これが子育てシェアの萌芽につながる。きっかけは手に職をと通い始めた職業訓練校で、子育てと仕事の両立ができず泣く泣く会社を離れた多くの女性と出会ったことだ。
「国をあげて『女性の社会進出』が後押しされているはずが、実情は、育児と仕事を両立できず職場からスピンアウトせざるを得ない女性ばかりだった」。
一方で、日中のファミレスや公園を出入りするようになると、育児経験を持ち保育士や幼稚園教諭の資格を持ちながらも「フルタイムでは働けないけれど、何か社会の役に立ちたい」と考えている専業主婦が多くいることもわかった。その瞬間“ピン”ときた。
「いつもの日記ブログにその日だけは『両者が繋がるしくみがあれば、子育ても仕事も社会も変わるんじゃないか』と書いたんです。すると普段は4~5件しかレスが無いのに、一晩で200件も書き込まれました。『ビジネスとしてはじめて!』なんて声もあって」。
「誰もやってないなら自分がやるしかない」。数々のベンチャー事業をみてきた経験も起業へと向かわせた。そして甲田さんは2009年11月にAsMamaを創業。資金は退職金の700万円をあてた。当時4歳だった娘が大人になった時、仕事か育児かで悩むような世界にはしたくない、と考えたこともモチベーションのひとつだった。
「社名の『As』は『~のように』という意味がある。『ママのようになりたい』と子どもたちが親を見て思える社会を創りたい、と考えたんです」。
大きな志をもってスタートしたAsMamaは、失敗を繰り返す。最初の失敗は「人を集めること」に力を入れすぎたことだ。知り合いになれる場さえあれば、自然と「手伝ってほしい人」と「手伝いたい人」がつながり、頼り合える関係性が生まれる。そう信じてチラシを配り、公民館などで親子交流会をしはじめた。ところが、回数を重ねれば重ねるほど、ビジネスとしての成長性や参加者から参加費をとることに疑義を持ち始めた。
「そこで無料親子コンサートのようなものを開き、とにかく親子の数を集めた。実際に数百人もの集客ができたのですが……」。
ところが、無料コンサートだけを目当てに来た人ばかりで、「子育てを助け合える相手を見つけよう」なんて人はほとんどいなかったという。子育て支援とはまったく関係ない、単なる「親子を集めるだけのイベント屋」になっていたわけだ。
悩む甲田さんに転機が訪れたのは、あるNPO法人が主宰する社会起業塾に入ってからだった。そこで「実際に利用してくれそうな人の声を1000人集めろ」と課題が出た。
「『子育てシェア? 利用者の顔が見えない。見えていないんじゃないか?』と問いつめられたんです。言葉につまったし、そのとおりでした。統計データと妄想だけで、本当に子育てシェアを利用したい人の顔や声が見えてなかった」。
1000枚のアンケート用紙をつくり、最寄りの駅前で母親たちに声をかけた。朝7時から、雨の日も風の日もとにかく声をかけた。「子育てで困っていることはないですか?」。 最初はほとんど無視された。何度もやめようかと思ったという。ただし、400枚ほど配ったあたりで、リアルな声が聞こえ出した。
「頼れる仕組みがあればいいけれど、やっぱり前から知っている人に頼めるほうが安心」「何度か友達に子どもを預けたことがあるけど、こちらのお礼がミカン1個だったのに、逆に向こうの子を預かった時に有名店のケーキをもらってバツが悪かった」
子育てシェアのウリでもある“顔が見える同士で預かり合う”仕組み、気兼ねなく頼める“ワンコインのやりとり”という着想が、この1000人アンケートから生まれた。
「加えて大きかったのは『安心して預けるためには保険がほしい』という声でした。これは、前職で知り合った保険会社の方が役員になったウワサを聞きつけ、直接交渉して保険商品をつくってもらった。粘りに粘っての粘り勝ちでしたけどね」。
それが世界ではじめて子育ての互助システムによる損害賠償保険となった。こうして1000人のアンケートによって磨かれた子育てシェアのシステムは、あらためて2013年4月に立ち上がり、倍々ゲームで利用者を増やし始めるようになった。
「ちょっと送りだけ頼みたい!」「2時間だけみてもらえる?」。かつて見た頼り合い、助け合う風景は、いま子育てシェアのウェブ上で展開されるようになったわけだ。
「子育てシェアの仕組みをもっともっと浸透させて『子育てを1人でやっているの? もっと頼りなさいよ』というのが当たり前の世の中にしたい。さらに将来は子育てのみならず、ほかの生活支援や介護まで利用できるインフラになる可能性もあると考えています」。 助け合いや譲り合いといった互助は、カタチを変えて社会に残っている。少子高齢化の一つの解決策を、甲田さんは作りつつあるのかもしれない。
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