2015年8月、UPQ(アップ・キュー)というハードウェア・スタートアップが、東京・秋葉原から彗星のごとく誕生した。発表会では、スタートアップとしては異例の17種類24製品という大量の生活家電が登場。また、これらの新製品が約2カ月という短期間で企画・製造したことも話題となった。
事業を展開するのは、"ほぼ一人家電メーカー"をうたう女性起業家、中澤優子氏。日々床で寝るような忙しさだが、「本気で文化祭を創りあげるような感覚」で、今はがむしゃらに進むのが楽しいという。ものづくりに懸ける情熱の源泉はどこにあるのか。UPQ設立に至るまでの経緯や思いを聞いた。
中澤氏は元々、カシオ計算機(以下、カシオ)で携帯電話の製品企画を担当していた。彼女がものづくりの世界に飛び込み、そして今なお情熱を傾けている理由は、カシオでの経験に寄るところが大きいという。そこでUPQの設立への道筋を辿る前に、まずはカシオの携帯電話事業について簡単に紹介しておこう。
カシオの携帯電話事業は、1995年に発売したPHS電話機"PH-100"から始まる。PH-100を皮切りにPHS事業に参入後開発を進め、2000年2月には、"タフネスケータイ"で知られる「G'zOne」シリーズの原型となる「C303CA」を発売。2004年4月には、auで初のカメラ付き携帯電話「A3012CA」を発売し、好評を博した。
開発効率の向上を目指し、同年4月には日立製作所と合弁で携帯電話開発会社「カシオ日立モバイルコミュニケーションズ」(以下、カシオ日立)を設立。2006年2月には、当時大画面だった2.6インチ液晶搭載の薄型携帯電話「W41CA」を発売した。"ペンギン携帯"とも呼ばれた「W41CA」は、ペンギンのシルエットがアニメーションで動き回る壁紙が大きく注目され、市場を席巻。2007年にはW41CAの後継となるワンセグ対応携帯電話「W51CA」も発売している。
転機が訪れたのは「iPhone 3G」の上陸だった。「iPhone 3G」は2008年7月に日本で発売され、瞬く間に市場を奪った。カシオ日立も苦境に立たされ、2009年9月、NECとカシオ、そして日立製作所の携帯電話端末事業が統合し、合弁会社「NECカシオ モバイルコミュニケーションズ」(以下、NECカシオモバイル)が設立された。合弁会社はNECの100%子会社が存続会社、カシオ日立が消滅会社となり、事業の主体はNECとなる。
その後もNECブランドを中心に携帯電話、スマートフォンの開発は続いたものの、キャリアの販売戦略やグローバル市場開拓の難しさなども相まって販売台数が伸び悩み、2013年7月にNECカシオはスマートフォン事業からの撤退を表明。同年12月、カシオは全保有株式をNECに売却し、携帯電話事業から完全に撤退する。
中澤氏は携帯電話事業が好調だった2007年、携帯電話を作りたいという希望で、商品企画が強いカシオに入社。その約1年後に「iPhone 3G」が登場する。