――冨田さんがOperaを離れ、Tetzchner氏とVivaldiを創業した背景を、差し支えない範囲で聞かせてください。

僕はOperaを離れてまだ1年ちょっとなので、2011年にJon(ヨン。Tetzchner氏のこと)がOperaを辞めてからは少し時間が空いているんですが、当時Jonが会社を辞めると言ったとき、一瞬「僕もやめるか」と思いました。他の経営陣と間では、人間関係としてはうまくいっていましたが、業績のためにトップライン(売上)とボトムライン(利益)の数字だけを見て予算や組織形態が決められていくような経営方針が強まり、僕も違和感を覚えるようになっていたんです。

ただ、当時はテレビ向けの組み込み事業を担当していて、家電メーカーにOperaを採用してもらうことで、Operaのテクノロジーがより多くの人の所へ広がっていけるという可能性は見いだしていました。また、Jonが会社を去り経営陣の中に創業当時の様子を知る人がほとんどいなくなっていたので、ここで僕までやめると、ブラウザでイノベーションを起こすという理念を継承する人が誰もいなくなってしまうと思い、そのときは会社の中にとどまってJonの思いを継いでいこうという気持ちでした。

違和感はありながらもやめる理由はないという日々が続く中、あるとき、Jonが何かの用事でシリコンバレーに来たんです。実はJonがOperaを辞めてからは、電話で何回か話したことがあったくらいで、2年くらい一度も会ってなかったんです。なので、せっかくだからちょっと食事でもしようよということになって、僕の家へ来てもらってご飯を食べながらいろいろと話をしました。

話はかなり夜遅くまで続いて、結局深夜まで話し込んで、そこでもう一度ブラウザをやろうという話を聞かされ、「ちょっと考えておいてよ」みたいに言われて(笑)。

――かつてのブラウザの世界に来いと口説かれたと(笑)。熱いストーリーですね。

熱かったですね。そのときは悩みましたが、あらためて「この前の話をしよう」と、今度は僕から、彼の家があるボストンまで行きました。そこでいろいろVivaldiのアイデアを詰めていくうちに、「ああ、昔はこんな感じだったな」と思い出しながら、すごくワクワク感が湧いてきて、「じゃあやろうか」と決心して。あ、もちろん今でも熱いですよ。

――「Vivaldi」というブランドは当初ブラウザの名前ではなく、コミュニティサイトの「Vivaldi.net」として2013年11月に登場しましたが、あの時点ではTetzchner氏が何を考えているのか、正直よくわかりませんでした。

Operaのユーザーコミュニティの「My Opera」がシャットダウンされると聞いてびっくりして、そのコンテンツを移行できるサービスを急いで立ち上げないといけないと思い、何人かで大慌てで作ったのがVivaldi.netです。

あのときにはもうVivaldiブラウザを作るということは決まっていたんですが、表に向かってそう言うわけにもいかず、中途半端な形でしたね。でも、「で、ブラウザはいつ出るの?」とか書いてくれる人もいて、何人かのユーザーは「またブラウザをやるんだろうな」と思っていたみたいですけどね。

Blogやフォーラム機能を備えるコミュニティサイト「Vivaldi.net」。ブラウザが発表される1年以上前にこのサイトだけが公開されたので、その意図についてはさまざまな憶測も飛び交った