デビュー30周年を迎えた斉藤由貴のインタビュー後編。前編(デビュー30周年の斉藤由貴、今だから語る"歌手とアイドルと青春"「子どものころからずっと孤独感が強かった」)では、"歌手・斉藤由貴"のエピソードを語ってもらったが、後編のテーマは、"女優・斉藤由貴"。女優としての心がまえや撮影裏話を尋ねた。
また、前編で斉藤は自らのことを「子どものころからずっと孤独感があった」と語っていたが、後編では意外な交友関係も披露。自然体の彼女らしく、最後までマジメあり、笑いありのインタビューとなった。
演じているときが一番素に近い
まず聞きたかったのは、女優と歌手の違いと、バランスのとり方。両立させている芸能人は多いが、正直なところ「女優のときも歌手のときもほぼ同じ」という印象の人もいる。その点、最近の斉藤を見ていると、「本当に同じ人?」とギャップを感じることがある。
「女優業は役名が与えられますから。私自身はあまり面白味のない普通の人間なんですよ。家で笑うと、ダンナさんが子どもたちに『見て、ママが笑っている』と話題になるくらい静かな人なんです。だから役名を与えられて演じることで、人間としての輪郭がハッキリするような感覚がありますね。"歌手・斉藤由貴"という名前で活動すると、女優のときとは違う演じ方になっていると思います。『昔の名前で出ています』じゃないですけど、役名ではなく自分の名前で歌っているので、いつも照れくさい気持ちがつきまとっていますから(笑)」
こうしてインタビューで話しているときも「斉藤由貴」という自分の名前だから照れがあり、女優として役名で演じているときの方が素に近いという。「与えられた役の中なら本当の自分を出せる」という何とも奥ゆかしい人なのだ。
「こうして普通にしゃべっているときより、芝居で役名を与えられてしゃべっているときの方が、素の私に近いと思います。役名の方がのびのびとできるし、素直になれますね。斉藤由貴としてしゃべると、自分の殻から出て自由になることが難しいんですよ」
ただ近年は、『ごめんね青春!』で演じたシスター校長のような濃いキャラの役も増えている。これらの役にはどう臨んでいるのか。昨年、『信長のシェフ』で演じた濃姫について尋ねてみた。
「ダンナさん(織田信長)が及川ミッチー(光博)で濃い~人だから、私も濃い~くしようと思っていましたし、特に頑張らなくてもセリフが『お主、うい奴よのう』とかですから濃くなっちゃうんですよ。あるときミッチーに『おのれ何奴じゃ』とかのセリフは恥ずかしくないか聞いたら、『恥ずかしいけど仕事だから』ってあっさり返されました(笑)」
「特別な役作りはしない」という、いかにも天才肌っぽい言葉が返ってきたが、斉藤と及川との共演は、2006年に放送された宮藤官九郎脚本の昼ドラ『吾輩は主婦である』以来。「主婦に夏目漱石が乗り移る」という奇想天外な物語をかなり気に入っていたという。
「(力を込めて)ああいう完全に振り切った、キレ切った役は大好きですなんですよ! 歌っているときのような照れくささもないし、完全に憑依できますからね。クドカンさんとのやり取りはなかったけど舞台をやる人間同士って、『(これくらいのことは)できるでしょ?』『キレてナンボ』みたいなところがあるんです。コメディのできる人は、生まれながらにして"コメディの種"みたいなものを持っていて、勉強しようがしまいが、自然にスイッチが入ってやれてしまいます。たとえば、セリフの後に間があるだけで、お客さんが思わず笑ってしまうとか。私はとてもそこまでの境地には達していないけど、多分クドカンさんは私にそういう"コメディの種"を感じてくれたんじゃないかな、と思っています。そうじゃなかったら、『吾輩は主婦である』のあの役は相当ハードルが高いですから」
斉藤は"コメディの種"を持っている人物に、植木等と黒柳徹子の名前を挙げた。ちなみに、黒柳の自伝エッセイ『トットチャンネル』が映画化されたとき、斉藤は本人役を演じている。2人が似たような"コメディの種"を持っているからなのかもしれない。