――監督の中では、それでいったん、舞妓さんの話は頭から外れてしまったわけですね

周防監督「いったん外れていました。やはり、コレというものが掴めなかったので。で、『Shall we ダンス?』が終わった後、あらためて考え直したとき、初めてミュージカルという枠組みを思いついたのですが、それとは別に、僕を取材以外で祇園に誘ってくれる人が現れて、お茶屋さんの中に知り合いがいっぱいできたんですよ。今回の映画で、富司(純子)さんの役のモデルになった人がいるんですけど、彼女と出会えたことが一番大きいです。ムーンライトという、舞妓さんが仕事を終わってから、東京の映画スターに会いに行くエピソード。それも、その女将さんの思い出話なんですよ。そういう風に具体的なエピソードが出てきたとき、俄然それを見たいという気持ちが強くなった」

――でも、それからまたしばらく時間が経ちます

周防監督「それを具体化するタイミング、主役の女の子の問題、もろもろあって、結局進まなかった。やはり映画はそこが難しい。いくら気持ちがあってもなかなか具体化できない。そうこうしているうちに裁判に出会っちゃって(笑)。『Shall we ダンス?』と『それでもボクはやってない』の間に少し期間があるんですけど、その間にいくつかの企画が動いていたんですよ。でも、結局具体化できず、『それでもボクはやってない』のあと、『ダンシング・チャップリン』を撮って、『終の信託』を撮って。僕の中では、ミュージカルならいけるという思いはずっとあったのですが、なかなか映画化のタイミングが掴めなかった」

――そこから、いよいよ撮ることになったきっかけは?

周防監督「『終の信託』のとき、プロデューサーから、『もうそろそろやらないと、僕ら死んじゃいますよ』って言われて(笑)。それで、オーディションでヒロインを決めちゃいますからって言われたんですけど、まだシナリオもない状態。まあ、気に入った女の子がいなければ、また延期すればいいと思っていたら、上白石萌音さんに出会えた。この子だったらいける、と思えたのが大きかったです。シナリオもすべて、彼女の存在があって初めて具体化できるようになりました」

――ミュージカル調にしようと思ったのは?

周防監督「先ほども言ったように、お茶屋さんの世界を描くにあたって、僕自身、真髄を理解できていないと思うんですよ、今でも。20年、30年と遊んできたわけではないので。だけど、ミュージカルという枠組みを借りることで、僕が感じている京都のお茶屋さんの楽しさを、皆さんに伝えることができるのではないかと思いました。お茶屋さん自体がミュージカルみたいなものだと思ったので、これでいけると思いました」

――ちなみに『マイ・フェア・レディ』という作品についてはどの程度意識していたのですか?

周防監督「構造的に似ている作品ですから、絶えず意識していましたし、シナリオを書いているときもずっと考えていました。でもそう思っていたからこそ、決定的に違うところに気づいた。『マイ・フェア・レディ』はヒギンズ教授が田舎娘をレディに仕立て上げる話です。でも、日本の京都の花街というのは、街の人みんなが寄ってたかって女の子を育て上げるんですよ。なおかつ、基本になるのは女系の擬似家族。これは極めて日本的ですよね。だから、そこを描けばいいんだって思いました。まったく『マイ・フェア・レディ』と重なるんだったらつまらない。だけど、明らかに違うものが出て来たからこそ、同じミュージカル仕立てにしてもまったく違うテイストにできるだろうと思いました。もちろん『マイ・フェア・レディ』と構造が似ているから、『京都盆地に雨が降る』みたいに、『スペインの雨』にオマージュを捧げるような歌もあえて作っています。でも、パロディを作るつもりはありませんでした。同じ構造であったとしても、ひとりの女の子が育っていく過程がまったく違うのですから、そこをきちんと描くことで、日本的なものを作れるのではないかと思いました」

――監督を動かした上白石さんとの出会いですが、最初から光っていましたか?

周防監督「実は全然目立ってなかったんですよ。彼女が最初どんな風に座っていたか、まったく印象がなかったので、かなり地味な子だったんだと思います。先日、オーディションのときにキャスティングプロデューサーが用意してくれた資料をあらためて見る機会があったのですが、やっぱりそんなに目立つ子じゃなかった。ただ、歌った瞬間に表情が変わった。その変わり方がすごく新鮮で。本当に歌が好きというのが伝わってきて、この子の歌をいつまでも聴いていたいと思いました。ただ歌が上手というのではなく、ちゃんと人の心に届くように歌えるというのがすごく印象的で、普段の姿と歌っているときの輝き方のギャップが、地方から出て来た垢抜けない女の子が可愛く変身して舞妓になるという主人公の姿と重なった」

――歌う姿が印象的だったわけですね

周防監督「やはり彼女は歌が決め手でした。歌うときにガラッと変わるのが特に良かった。日本映画で、アイドル物と呼ばれるものは大抵最初から可愛いんですよ。でも僕は、映画を観ながら、だんだん可愛く見えてくるという、ヒロインが徐々に輝いていくものを作りたかった。最後に、『あ、この子、すごく可愛かったじゃん』、みたいな(笑)。それができる子だと思いました」

――映画では、最初かなり野暮ったい感じですよね

周防監督「本人には申し訳ないのですが、ちょっと野暮ったさを強調しました。でも、最初から彼女の中に愛すべき野暮ったさがあって、それが魅力だったんですよ。やはり鹿児島で育ったことが大きかったと思います。そして、映画にあわせて上京してきて、いろいろな大人と出会うことで、洗練されていったんだと思いますし、それが映画と上手くマッチしたんだと思います」

――実際の撮影に入ってからの印象がいかがでしたか?

周防監督「歌はある程度イメージにあったし、それがあるから大丈夫だと思っていたんですけど、芝居は予想以上でした。賢い子で、僕が余計なことを言わなくても、全部自分で理解して演技ができる子だったので、本当に楽でした。さすがに芝居は苦労するだろうと思っていたのに、拍子抜けするくらい、こちらのイメージを体現し、尚且つ超えてくれた。それも高いレベルで。すごく助かりました」