ミステリーの一番の醍醐味=“犯人探し”
ミステリーを楽しむ最大の醍醐味は、なんといっても“犯人探し”。その展開のさせ方は、以下の2つに絞られる。
■犯人が分からないパターン=フーダニット(Who done it?)
フーダニット(Who done it?)とはミステリー用語で、直訳すると「誰がおこなったのか?」。つまり犯人は誰なのかという謎が物語の軸となり、探偵や刑事による懸命な捜査の結果、最後に真犯人が明らかになるパターンだ。
その衝撃度が強ければ強いほど見る者に強烈な印象を与える。例えば様々な映画ランキングの常連作品となっている『ユージュアル・サスペクツ』は、貨物船爆破事件の犯人とされる伝説のギャング“カイザー・ソゼ”を関税特別捜査官が追うというストーリー。
事件の唯一の生き残りとなった男の聴取シーンと回想シーンを織り交ぜながら、犯罪計画の顛末が卓越した構成で描かれる。ラストの大ドンデン返しは映画史に残る驚愕度!
一方、犯人が最後まで明かされない映画もある。韓国で実際に起きた連続猟奇殺人事件を映画化した『殺人の追憶』や全米史上初の連続殺人事件を描く『ゾディアック』はどちらの事件も未解決であるため、当然のことながら映画の中でも犯人は明かされない。
だが主人公たちが見えざる犯人に翻弄されながらもジリジリと近づいていく過程が緊迫感たっぷりに描かれ、見る者を引き込む。そして「犯人は今もどこかで生きている」という事実がさらなる恐怖を突きつけるのだ。
連続ドラマW『天使のナイフ』も、このフーダニットの典型的パターン。
主人公は、愛する妻を13歳の少年たちに殺されたカフェ店長、桧山。 それから4年後、桧山は少年たちが更正しているかどうか調べ始めるが、その直後から少年たちの命が次々とねらわれる。
犯人は桧山なのか? それとも真犯人は別にいるのか?———この謎解きを軸に、真の更正や贖罪の是非を問う社会派ミステリーとなっている。
■犯人が最初に明かされるパターン=ハウダニット(How done it?)
直訳すると「どうやっておこなったのか?」で、見る側に最初から犯人を明かしておくパターン。倒叙(とうじょ)ミステリーとも呼ばれ、犯人探しを描くのではなく、刑事や探偵の優れた推理術がストーリーの肝となる。犯人が分かっていると謎解きの楽しみが奪われてしまうような気がするが、刑事と犯人の手に汗握る“心理戦”こそ倒叙モノの真骨頂だ。
推理ドラマの金字塔とも呼ばれる『刑事コロンボ』は、ピーター・フォーク演じる中年刑事コロンボが、執拗な捜査と鋭い洞察力で犯人を追いつめていくのが最大の見どころ。
また『刑事コロンボ』にオマージュを捧げた『古畑任三郎』は、田村正和演じる刑事が捜査の過程で些細な矛盾や疑問に気づき、犯人の心理を巧みに操りながら真実をあぶり出していく。そうして迎えるクライマックス。緻密な犯行トリックを暴いていく古畑のひとり語りのシーンは圧倒的なカタルシスをもたらす。
古畑が“いつ犯人に気づくことができたのか?”が謎解き要素のひとつになっているのも特筆すべきポイント。どちらの作品も犯人目線で見るとよりハラハラドキドキさせられること間違いナシだ。