ビギナーからベテランまで、本当にやりたい仕事に挑戦するなら、東京でしょ――「首都圏一極集中」なIT/WEB業界において、それはある種の常識と言ってもいいかもしれない。とはいえ、人の波、情報の渦、激務の嵐に揉まれ続ける日々を送るうち、自分が生まれ育った街、学生時代を過ごした街、旅先で惚れこんだ街など、ここではない“どこか”に移住して再出発できたらなぁ、なんて思い描いたことのあるエンジニアも多いのではないだろうか。もちろん、そんな妄想レベルの話ではなく、たとえば実家に残してきた両親や家族のことなど、よんどころない理由で地方に戻ることを考えているエンジニアも少なくないだろう。
そこで9回目を迎えたTechCompassでは、実際に一念発起して東京を離れたエンジニアたちをプレゼンターに招き、「徹底検証★ITエンジニアが「地方で働く」ということ」と題して、地方で働くことの実際に迫ってみることになった。このレポートが、地方移住を考えるエンジニアにとって、何らかのヒントになることを願いつつ、イベント当日の模様を紹介していこう。
ストレスと無縁の生活を切望して地方移住はアリ?ナシ?
今回プレゼンターとして登場したのは、京都からはてなの大西康裕(@yasuhiro_onishi)氏、徳島からSansanの團洋一(@dany1468)氏、札幌から野村総合研究所(NRI)の楢舘歩氏、福岡からはLINE Fukuokaの和田充史(@wats)氏という、全国各地で活躍中の4名のエンジニアだ。そして、モデレーターとして、元・プログラマーで現在はフリーのライター&イラストレーターとして活躍中のきたみりゅうじ(@kitajirushi)氏を迎え、東京生活とその後の地方生活を比較した偽らざる本音を語り合ってもらった。
イベントのオープニングでは、まず○×二択方式の質問が壇上のプレゼンターに投げかけられた。前提として、 “そもそも地方で働く・暮らすはアリだったのか、それともナシだったのか”を、各プレゼンターに確認する意味合いからだ。
一問目「もともと地方で働いてみたかった?」の問いに○を上げたのは、楢舘・團の両氏。一方、×だったのは和田・大西の両氏。真っ向に分かれる結果だったが、その理由は質問後の質疑応答で明らかにされることに。ちなみに、○だった楢舘・團の両氏に「その地方って、田舎?」と問いかけたところ、團氏が○を上げた。「東京の人ごみが嫌で嫌で、出社しようとするとお腹が痛くなる程(笑)。いや、笑い事ではなく精神的に参ってしまい、辞表まで提出したんです。そうしたら会社がいろいろと考えてくれて、サテライトオフィス勤務の仕組みを活用し、今の地元に戻って働くリモートワーカーという選択肢を提示してくれた。全国ランキング堂々20位の限界集落で本物の過疎地への移住でしたが、人の少ない田舎でのんびり働けるならと思い切りました」と語る團氏にとっては、田舎であればあるほどよかったという理由と想いがあったようだ。
このトピックには、都会暮らしを捨て、郊外へと移り住んだ経験を持つモデレーターのきたみ氏も「他人事じゃないですね。自分も横浜でマンションに住んでいたときに、ご近所さんが共用スペースにどんどんはみ出して荷物を置いたりしてきて、そういった些細な干渉を気にしてしまう自分に嫌気が差したのが、移住を決断したきっかけ。満員電車とか人込みとかがダメというのから地方での仕事や暮らしにあこがれるというのは、自然な流れのひとつでしょうね」と頷いていた。
地元へのUターンで都会脱出を果たした2人
はてな/大西康裕氏 |
そうして二問目以降、「移住先は生まれ育った地元?」和田○/大西×/楢舘○/團○、「家族に反対された?」和田×/大西×/楢舘×/團×、「給料は都会の方がよかった?」和田×/大西×/楢舘○/團×、「地方でストレスは減った?」和田○/大西○/楢舘○/團○、「時々、都会に帰りたいと思う?」和田×/大西×/楢舘×/團○といったそれぞれの解答が得られた。
その後、プレゼンターの自己紹介を経てパネルディスカッションへ進んでいったのだが、やはり注目を集めたのは、徳島の限界集落に居を移した團氏だろう。「26歳の時に転職して、しぶしぶ上京したこともあり、とにかく東京での生活が肌に会わなかったですね。仕事は申し分ないのですが、自分が自分でいられる時間や空間をどこにも見つけることができなくて(笑)。それで、32歳の時に決断しました。会社が協力的だったのも大きいですね。そんなのレアケースだろ、と言われるとそれまでですが、実は今、徳島にサテライトオフィスを出すのが、意外にもIT業界中心に密かなトレンドだったりするみたいですよ。検索してみれば、まとめサイトなどいろいろ出てきてビックリしますから」(團氏)
そんな團氏とは事情は異なるものの、同じく故郷の札幌へとUターンを果たした楢舘氏は、こう振り返る。「大学で京都に出て、就職は横浜。金融系のSEとして5年半頑張り、結婚して家族もできました。そうすると、やはり長い目でみていろいろと考えてしまいますよね。『子供を育てるなら、自分が生まれ育った故郷で同じように』とか。それで、2006年10月にNRIの札幌拠点への転職を決めました。東京と同じ第一線の案件やお客様との仕事を担当できる、という就業環境が魅力でした。あと、移住先を地元にすんなり決められたのは妻も同郷だったことが大きかった。いずれは帰りたいという気持ちがお互いありましたから」
2人に共通しているのは、スケールは異なるものの、“東京や首都圏の仕事をサテライトで担当する、そのポストをつかみUターンを果たせた” ところだろう。何も地場の企業だけが転職先候補ではない、というITエンジニアが地方で働く際の基礎的な部分を、自身の候補先選びの時には、ぜひ参考にしてみて欲しい。
外的要因から地方移住を決心した2人
Sansan/團洋一氏 |
一方、「会社都合で仕方なしでしたからね(笑)」と話すのは、現在、京都在住の大西氏だ。「三重県出身で大学は静岡でしたが、縁あって高校の同級生(創業者の近藤淳也氏)が京都で起業した、はてな創業メンバーになったのが2001年のこと。2004年には会社を挙げて東京へ出たため、自分も上京。その後、また原点回帰ということで京都に戻ったのが2008年。会社都合で行ったり来たりを繰り返し(笑)。忙しいこともあったのですが、2回目の引越しの際には、引越し業者のみなさんが荷物の引きあげに来てくれた時、何一つダンボールに詰めていない普段の我が家状態でしたから(笑)。」
また、福岡在住の和田氏は、SIerで2年ほどエンジニアの経験を積み、その後、起業。自社でECサイト、CIホスティングサービス、ソーシャルゲームの開発・運営など約8年間手がけた後にLINE Fukuokaへエンジニア第一号として入社、同時に福岡へ移住したという、なかなかに波乱万丈な経歴の持ち主。和田氏は「東京で10年くらい仕事と生活に明け暮れていましたが、実は先の震災を機に家族だけが先に福岡に引越ししていたんですね。だから、地元に戻れるものなら、すぐにでもという気持ちがあった。いろいろな縁もあって、今年LINEから声をかけてもらい、福岡にブランチを出すという話をいただき、その責任者にならないかというオファーがあったんです。それで会社をたたむ決心がつき、ようやく自分も地元に移住することができた。もう東京に戻るつもりはありませんね」と述懐する。
こちらの2人に共通しているのは、会社都合や家族との別離といった自身を取り巻く外的要因に影響を受け、地方への移住に踏み切ったという点だ。人には千差万別の事情がつきものなので、一概には言えないのだが、ドラスティックにライフスタイルが変わる地方移住を受け入れられる気持ちや状況があれば、結果オーライではないが、なんとかなってしまうというのも、また事実と言えそうだ。