iPad Air 2とiPad mini 3が発表になった当日、日本でもメディア向けにハンズオンイベントが実施され、その後、両機のファーストインプレッションが各媒体、ブログメディアで取り上げられたが、正直、筆者にはピンとこないものばかりであった。

多くのPC/ITジャーナリストは、iPad mini 3に関して、単にTouch IDが付いただけ、ゴールドモデルが増えただけと評価した。が、これには断固として異議を唱えたい。

現行のiPadのラインナップ

iPad miniは、iPad mini 3と、iPad mini 2(旧Retinaディスプレイモデル)に、初代iPad miniというラインナップになった。この並びになって、筆者が感じたことは、Apple、教育市場の開拓に本気だな、ということである。子供達にとって、丁度良いサイズだからというだけではない。3年前のモデルが現行OSで動き、かつ、世代間の機能差があまりないことは、教材として非常に重要な意味を持つ。導入された年度によって購入したデバイスの機能差がありすぎると、均質な教育現場の実現が難しくなってしまうからだ。極端な話、半年でサポートが終わってしまうような機器を導入した場合、高価な教材を毎年入れ替える羽目になる。富裕層が通う私立校ならともかく、公立校に通う子供達の家庭の経済状況はさまざまである。そこに、すぐ使えなくなる教材を導入しようと検討するという発想自体が間違っている。予算の都合で、より安価な機器をという向きもあろうが、子供達の将来を本気で考えているのであれば、それは改めるべきだ。もし、すぐ使えなくなる端末を導入しようと考えている自治体があるとするなら、何らかの形でのリベートが存在すると疑ってかかったほうが良い。

それに対し、この新しいiPad miniのラインナップは教育の現場における格差の問題を埋めるための施策であるように思えるのだ。教育制度は国によってまちまちだが、少なくとも3年から4年は教材として買い換えずに使えるものであって欲しい。そのニーズを満たすものであると筆者は見ている。

単にTouch IDが付いただけ、ゴールドモデルが増えただけと評価したPC/ITジャーナリストには個人的な思い入れしかなく、マクロな視点を決定的に欠いている。もう少しこの話を続けよう。もし、購入を検討している人が、初めてタブレットを買うという場合、先代モデルがああだったこうだったという語り口で評価することが、果たして有用な意味を付与できるのだろうか? 今回、iPad miniについては、全モデルが残ったし、iPad Airも先代モデルが残ったので、比較するという点では多少なりとも意味があるのかもしれないが、初めて買う人々にとっては、前のモデルについては「知らない」あるいは「触ったことがない」のであって、旧機種のインプレッションをそもそも持っていない。つまり、今ある製品ラインからチョイスする以外に選択基準は存在しないのである。「買い替え」であることを前提に持論を開陳し、そこに旧機種に対する特別な思いを、謂わば自分語り的に吐露するのは、同じ「買い替え」組には支持されたとしても、新規のユーザーにとっては殆ど「?」でしかない。これが例えば、iPhoneのように日本国内のスマートフォン市場のシェアの6割を越えるという状況下においては、ユーザーの多くが新モデルに買い替えるであろうという推測の下で主張を展開することも、ある程度は意味を持つだろう。しかし、iPadについては、決してそうではない。

さらに続けよう。ゴールドモデルが増えただけという人々は、ゴールドモデルが追加されたから欲しくなる、という層が存在することを解っていない。iPad miniは、服を選ぶように好きなモデルをチョイスできるようになった、という認識に立てない。

筆者は服が大好きで、突っ込む金額は正直、ガジェットより遥かにでかい。好きなデザイナーが同じシーズンで同じデザインで異素材のアイテム出してきたら、両方、ものによっては全部買うこともある。これはデザインは同じだがスペック(素材)が異なるという例だ。一方、素材は全部同じだが、デザインが異なるので、あれとこれを買う、というケースもある。これは、スペック(素材)は同じだがデザインは異なるという例だ。前者と後者、どちらが、より奇矯な行為に思えるだろう? 恐らくは前者ではないだろうか。実際、筆者は周囲の人から「いつも同じ格好してるよね」とよく言われる。いや、スペック(素材)は違うのだけど。それに対し、後者は(比較的)まっとうに捉えられている。身につけてみれば、一応、違って見えるから。だが、スペック(素材)は同じである。

上記の事象がどういうことなのか理解できない人にとっては、ゴールドモデルが追加されたから欲しくなるという感覚も不可解なものであろう。だが、ゴールド、カッコいい、可愛いという理由で購入するという人達は間違いなく一定数存在するのである。そして、その人達にとって、スペックは「まあ、どれも同じようなんでしょ?」という程度のものでしかない。だったらオシャレ度高いほうがいいという物差しになるのだ。

もしかしたら、お前はファッションアイテムとガジェットの購入動機を混同している、それぞれ動機は異なるはずだ、という指摘があるかもしれない。そもそも、服に有り金突っ込む人が、一所懸命になってガジェットの情報追うとも思えないという反論もあるかもしれない。が、しかし、それは本当に別次元の話なのだろうか? 来年初頭にApple Watchが発売されても、そう言い続けられるだろうか? 最早、PC/ITジャーナリストは同時にファッショニスタでなければならないという局面に突入しているというのに。

iPad mini 3は、ある種の試金石であり、非常に意欲的なプロダクトなのだ。今後の業界の動向を占う上で、実に重要なポジションを担っている。この製品を投入することで、AppleはPC/IT業界に対し、ドラスティックな変化を要求しているのだが、そのことに気づいている人は未だ少ないようである。