"脱藩"してうまくいかなかったら?
後半は、インターネットが登場してからの「もの」について議論が交わされた。コンセプトとデザインを決める順序や"necomimi"開発エピソードなどを通し、「イノベーション的な」ものづくりはどのように実現されるのかという話題へ。"脱藩"した会社との仕事の事例などを使いながら、大企業と小さな企業がタッグを組むことの可能性などが語られた。
吉田氏の「脱藩せざるを得なくなったとして、"脱藩"してうまくいかなかった場合のたたみ方のコツをちょっとききたい」という問いには根津氏が回答。
根津氏「そう簡単には死なないよねって。そこまで立ち戻るんですよ。そうそう死なないよっていうのがいつも心の片隅にあって。たたみましたって別に言わなくてもいいのかなって。その次のことをちゃんとやっていくってことだと思うし。要は、その日その日一生懸命やっていれば、ちゃんとなるかなと」
吉田氏「大体そういうことやってると『あなた面白そうだから』と言って次の声がかかりますよね」
根津氏「会社を辞めてほしいとは言うつもりないんですけど、辞めてもいいぞ、とは思っててほしいなと思っているんですよね。辞めてもいいと思ってる人って、大体会社の中でも価値を出すんですよね。いても絶対よかったし、やめても絶対よかった。自分と会社を相対づけるよりも自分と社会を相対づけてどのくらい価値を見いだせるかだと思うんですけれど。辞めてやるぜって思っている人って大体それができているので」
吉田氏「辞めたくなかったとおっしゃっていた田子さんからは何かありますか?」
田子氏「僕はこの会社のために何ができるだろうってところまで考えていたんですけれど、この次の世代に何かしなきゃいけないというときに明快なビジョンは作れるけれど、残念ながらみんなでそのビジョンに向かって一丸になっていけるかっていう数の問題で、なかなかいけないと。この人たちを巻き込むにはどうしたらいいんだろうって考えていたら結果がこうなんで。そういう風に思っている人たちはいっぱいいるはずだから、いかに僕たちはそれを外から巻き込むか、そういうベースですよね」
工業化と情報化が直結している日本
最後は、加賀谷氏のメカトロニクスについての問いかけをきっかけに今回のまとめとなった。
田子氏「僕が思っているのは、日本って歴史的に見てみると工業立国として伸びたけれど、残念ながらその後すぐ情報化の波に飲まれちゃったという文脈になると思うんですね。アメリカを見直すとその間に脱工業化というところにあって、本当はそこに立っていなきゃいけないんだけど、気がついたら工業立国としてでっかく立ち上がっちゃって、それがそのまま弱体化していく上でIT化がどーんと立っちゃった。今は二大巨塔が立ってマージできていないのが一番の問題で、マージできたら最強な産業が作れるはずなんですよ」
宇野氏「日本の場合、工業化のあとに情報化が直接つながってしまっているので、誤解やすれ違いが起きてしまっているのが、もの作りの環境にポテンシャルがあるのに気付けていない理由だと思うんですね。日本人て目に見える"オールドものづくり"と目に見えない"情報化の世界"がバックリ分かれてしまっている。その二つがマージしたものとして、"ポスト工業社会"、"ものづくり2.0"のビジョンがあるのに気付けていないっていうことだと思うんですよね。それを気付かせる方法は一つだと思っていて、より皆さんが活躍して、我々の家庭に皆さんの作ったものがどんどん入っていくことで、その手伝いを僕らのようなメディアがガンガンやっていくことではないかと思いました」
「ものづくり」というテーマながら、デザインのつくり方から社会への影響、働き方まで幅広く意見が交わされたトークセッションとなった。イベント開催情報などは『PLANETS』Webサイトで確認できる。