――「天才子役」というイメージが先行して、一体どこが「天才」なのだろうと思っていましたが、まずは同世代よりも演じることに強い興味を持っているというのがある種の才能なわけですね。

まさに、「好きこそものの上手なれ」ですね。「可能性」というものをよく分かってます。『円卓』はものすごく難しい話だと思うんですよ。説明のない場面がありますが、これは一体何を示唆しているのかというのは、見る観客に問われているんですよね。こっこに感情の流れがあって、ある出来事をきっかけに、「生きようと思う」と言ってしまえるシーンがありますが、圧巻です。そういうことは大人だと言えません。子どもだから言えるんです。

――変質者である「鼠人間」が、こっこに顔を踏ませるシーンがありました。芦田さんはどのように捉えて演じたのでしょうか。

鼠人間の意図は理解していないです。僕はほとんどのシーンで彼女に説明をしていません。ただ、待ち時間などで時々、どのような感情なのかを聞きます。すると、自分の感情のまま彼女は言うんですよね。「なんだか、怖いじゃないですか。怖いんだけど、こっこはどうなるんだろうって興味があるので、怖いけど踏んでみた。そしたらすごく嫌な感じがした」と。それは正しいんです。数年後の愛菜ちゃんは「こんなシーンだったのか!」と感じるでしょうが(笑)、観客の子どもたちも愛菜ちゃんと同じ気持ちなんですよね。意図は重要じゃなくて、愛菜ちゃんが何を感じるのかが重要だったわけです。

――それはほかの子役を撮影する時にも大切にされていることですか。

そうですね。この映画では「衝動」という言葉の意味を教えて、それに気づいた人はやってみてくださいと伝えました。そしたらね、みんなやるんですよね(笑)。学級会のシーンなんか、ボルテージ上がりまくりで。本読みの時は普通な議論だったんですが、そこには演出はありません。隣に座っていた子なんか、オーディションでメインをとれなかった子だからあえてそこに座らせたんですけど、すごかったですよね。芦田愛菜相手に「やったるで」っていう気迫がすごかった。

――大人を撮る時とは違った醍醐味がありそうですね。

子どもたちの方がやりたいことがいっぱいあって。むしろ大人たちより楽ですよ。集中力がないだけで。

――「子役の撮影は大変」だとよく聞くんですが、見方によって全然違う意味になりますね。

この子たちは演じることのモチベーションは非常に高い。それは「芦田愛菜」が真ん中にいるからなんですね。同じレベルの子どもたちでやるとぼんやりしていたものが、目標があるとモチベーションが明確になる。その成功例がこの作品だと思います。リアリティを求めて無名の子でいきたいという監督もいますが、生き生きとさせる為に時にはだまし討ちをしなければいけない。ここで遊んでてと言いながら、台詞を口立てで与えたり。でも、その子たちには遊びながら言っているだけだから、言葉の中に意図がないんですよね。ということは、その子は全体を通して何の意図もなくその場にいることになる。

この作品が成功したのは、「芦田愛菜」がいたから。芦田愛菜と共演しているという気持ちが、「おまえー!」という強くぶつけるセリフになるんです。それを受けた芦田愛菜がさらに「なんやー!」と言いながら返してきました。あれはガツンと言われなければ愛菜ちゃんも自分だけが吠えることになるからあそこまでできないですよ。だから、見たことのない芦田愛菜を撮ることができました。

――確かにあんな芦田さんは見たことがありません。「愛菜ちゃん、どこまでいっちゃうんだろう…」と心配になるくらい(笑)。

ですよね(笑)。目をギラギラさせて、「オラー!」って(笑)。最初は、あんなヤンキー芝居になるとは思ってもみませんでしたからね。どんどんボルテージ上がっていって。現場は爆笑ですよ。すげーなこいつらと思いました。愛菜ちゃんはどんなシーンでも30通りくらい考えてますからね(笑)。もうちょっと違う感じである?って聞くと、「あっ! あります! じゃあ、やってみます!」みたいな。

彼女は、やりたいんですよ。やりたくてしょうがない。愛菜ちゃんはそういうところがあるから面白いんですよね。でも、大人の俳優の中には「俺はこれでいきたいんですよ」みたいな決めうちなことを言う人がいるから、何言ってんだよと(笑)。僕の作品にたずさわった人はほぼいませんが。自分の演じたいことばかりを主張するのは、ただ楽をしているだけだと思うんですよね。だけど、愛菜ちゃんは子どもだから「違う」と言ったら、素直に受け止めて「どうすればいいですか?」と聞いて、そしてすぐに「やってみます!」となるわけです。

――監督としてはまた起用してみたくなる役者ですね。

そうですね、この子ではまた撮れるんじゃないですかね。本当に面白い。仕事していて、気持ちいいですからね。何の問題もない(笑)。

――そこが「芦田愛菜はすごい」と言われているところなんですね。現場の人にしか見えない部分ですが、見る側は分からなくていいことなのかもしれません。

分からなくていいんですよ。でも、「天才子役」と言われていて、自由自在に泣くことができても、泣くこと自体はテクニックでできる。この作品は、そこがポイントじゃないんです。それだけは声高に言いたいですね。「芦田愛菜のすごさ」がこの中にはあります。演出を凌駕(りょうが)していますからね。すごいです。

――「子役」ではなく「女優」ですね。

まぁ、女優の域でしょうね。ただ、子どもですよ(笑)。子どもだから余計なことを詮索しない。分からないことは分からないと言う。だけど、本人には気遣いもある。周りの子どもたちが集中力が欠けると、飲み込まれそうになるんですよね。そうすると、どうすると思います? 自分だけちょっとその場から離れるんですよ。きっと、そういう部分まで自分のことを理解しているんでしょうね。だから、あの集団の中にいるのは、彼女にとっては驚異だったと思いますよ。そして、共演する子どもたちが「芦田愛菜に追いつけ!」ってなってるから、余計大変だったかもしれません。

(C)2014『円卓』製作委員会