100点以上の新たなナスカの地上絵を発見
次は中米から南米に舞台を替えて、アンデス文明についてだ。アンデスの調査では、南米ペルーのナスカ台地において(画像20)、動物、人間、幾何学図形などの100点以上もの新たな地上絵が確認されると同時に(画像21~24)、放射状直線の地上絵が従来の学説よりも約1000年も前から制作されていたことが明らかにされた(画像25・26)。
画像20(左):アンデス文明はアンデス山脈やナスカ台地を拠点とし、現在のペルーに含まれる。インカと、その2つ前のワリの勢力範囲。画像21(右):坂井教授ら山形大の調査団が発見した新たな地上絵の1つ。サイズは65mほど。2006年に公表された。(c) 山形大学 |
ハチドリ(画像27)、クモ(画像28)、サル(画像29)などで知られるナスカの地上絵は世界遺産として有名だし、宇宙人もしくは宇宙そのものとの交信に使われたとか、または描いた存在そのものが宇宙人とするなど、イエロージャーナル的な説でも有名なわけだが(ちなみに、宇宙人のオーバーテクノロジーはおろか、航空機すらなくても、小さな絵を設計図的にまず地面に描くことで、それをロープや杭などを利用して拡大させて大きな絵を描くことは当時でも十分行えるといわれている)。
しかし、これらを制作した社会と環境変動の因果関係についてはあまりよくわかっていなかったのである。従来の研究では、大部分の地上絵を描いたのはナスカ期(紀元前200~後700年頃)の社会であり、この社会はナスカ末期の乾燥化の影響で滅んだといわれてきた。
ところが今回、ナスカ川の水源地帯である、ヤウリウィリ湖やチチカカ湖など、アンデス山地の湖沼の堆積物の理化学的な分析も研究計画A01環境史班によって実施され、ナスカ末期の古環境の復元が行われたところ、当時のナスカ社会は豊富な水資源を利用できたことが判明したという(画像30)。
続いて、ナスカ谷における遺跡の分布と出土遺物が分析され、ナスカ前期末に乾燥化が進み(画像31・32)、それに対して人々は居住地を変えると共に、水路などの新しい技術を導入して乾燥化を乗り切ってきたこともわかったそうである(画像33~37)。このように乾燥化を乗り切ったアンデスの人々は、その後、インカ帝国がスペイン人に16世紀に征服されるまでの期間、地上絵を繰り返し制作・利用したとする。つまり、ナスカ社会は崩壊することなく、2000年間にわたって地上絵を制作・利用し続けたというわけだ(画像38)。
画像30(左):ナスカ地方の水源地はアンデス山中のヤウリウィリ湖だった。画像31(中):過去9000年々間のヤウリウィリ湖の湖水異変か記録と、アンデス文明繁栄時期(右へ行くほど時間的に過去になる)。画像32(右):画像31の拡大図。ナスカ後期からイカ期までは湿潤期だった |