色々な仕事をやっていたから続けられた
--今のお仕事の話に移りますが、漫画を描くことに手応えや満足感を感じられるようになったのはいつ頃ですか?
本当の事を言うと漫画に関しては、最初は無理やり描いていました。私は漫画の特別積極的な読者でもないし、編集者が言ってくる内容に全然ついていけなくて「描けるわけないわ、こんな漫画」といったリクエストを結構もらって。「空っぽのチューブから無理やりネタを絞るような思いでやらなきゃいけないのだったら、もう辞めてしまおうかな」と何度となく思ってました。でも、幸いその頃は他の仕事もいっぱいやっていたので、漫画に対する猜疑心をいつまでもこだわり持ち続けてもいなかった。それを本職にするかどうかは全く分からないし、そのつもりも実はないけど、続けるだけは続けていけました。もしそのとき漫画だけで生きていかなきゃと思ってやっていたら、挫折して止めていたかもしれない。
--それでも続けて来れたのはどうしてですか?
滞って考えすぎなかったからですね。漫画の世界っていうのはやっぱり油絵のような世界とは違うんだ、これはこれできっともっと奥が深くて面白い世界であり、そこに自分も乗っていかなきゃって。漫画でなければ展開させられない表現のワザを覚えれば、それで自分を充足させられるスキルが一つ増えたことになるし、やり始めれば大変かもしれないけど感動できる事もたくさんあるはずだろうから諦めるのはやめようと。ただ、そういう意識を持つ事ができたのは、他にもいっぱい色んな仕事してきたからなので、そんなに重々しい思いを込めてというのはなかったです。切羽詰まっていたら漫画に対するポジティブな妄想や空想で自分を酔いしれさせるわけにもいきませんでしたから。
--続けられると思われたのはいつからですか?
シリアに行って『モーレツ! イタリア家族』(講談社)という連載を取れたときに「ああ、これからは漫画だけでも多分大丈夫そうだ」っていう気がしました。私の"蛇口"というのか、つまり、今まで色んな仕事をしてきたことによって培ってきた、色んなスキルや創作法、感情の出し方、表現法が、シリアという国に引っ越した事によって、一つに集約されてしまったわけですよ。漫画という媒体オンリーに。この"蛇口"はお湯も水も出せるし、水圧もいろいろコントロールできる。漫画によっていろんなことできるかもしれないって自信が付いたんです。
やっぱり色んな仕事やってきたおかげで自信を持って漫画の世界に投身できたのだと思っています。前みたいにプライドが自分の意識を牛耳って「私はそんな漫画描けません」みたいなのもなくなってきたし、「絵で食べて行けるなんて有り難い。まあ何でもやってみよう」っていう、へりくだった人間になってました。
--仕事で嫌な思いをされたときにはどうしますか?
あんまり深く考えすぎないようにしています。本当に嫌なことは止めますから。実際に止めてもきたし。なので、「それでも自分は立ち向かうよ」っていう状態は、まだ執行猶予があるってことですね。そのときには、嫌々じゃなくて角度を変えてみるといいと思います。「部屋の模様替えしてみよう」とか「今までこの靴履いてたけどマメできるからこっち履いてみよう」みたいな。
「今はもう、やりたいことだけやって生きていきたい」
--今回出した本についての思いを聞かせてください
こういう女もいるんだから、今までと環境が変わったり、周りと同調できなくて戸惑う人に「じゃあ、ちょっとものは試しに読んでみて?」という感じで存在してくれればいいんじゃないかと思っています。ただ、「みなさんこの本読んで、この通りにして」とは、とてもじゃないけど思えない。自分でしゃべった事を文章に直して出していただいてはいるのだけど、人生のガイドブック的な本ではないですね。
--ハウツー本ではない?
ハウツー本ではない。あくまでも、変わった生き方をしている人間もいるんだっていうことを認識してもらう、一つのきっかけになればいいなと。テレビとかに出るのも、人間として、日本人として、こういうとっぴもない生き方のバリエーションがいっぱいあっていい、ということを伝えたくてやっている部分もあります。こういう本を出すことで、他にも思い切った事をやって新しい何かを開拓していこうとする人が出てくるかもしれない、それによって今みたいな表面的な一律性だけが重視されるのとは別な、自由だけどパワフルな社会になっていくかもしれない。誰かがドミノの最初の1個にならない限り、凝り固められた保守的な既成概念は倒壊しません。自分がたまたま特異な経験を積んできた人間という意味では、遣唐使や遣隋使みたいな、特別な経験情報提供者としての責任感を感じているというのはあります。
--最後に、この先の展望があればお聞かせください
具体的な目標は特にありません。常に何かして生きていますからあまり展望や目的は持っていないです。場所の移動もやりたくなったらいつでも突発的にしてしまうし、マンガも売れたいとか決して望んでいたわけではないのヒットするような顛末になって、それに付随してうれしいだけじゃない、辛酸をとことんなめるような、辛い思いもたくさんしたし、何をどうしよう、って特別思っていなくても満遍なくいろんな経験は味わっています。多分こんな感じが自然と死ぬまで続くのかもしれません。
でも、漠然とした大きな目的みたいなのはあります。油絵を描く事を途中でやめてしまったので、漫画を60歳くらいまでやったら再び油絵に戻りたい。それはもう売るとか売れるとか考えないで自由に描くという意味で。年齢によってどんな絵が描けるか見てみたいというのもあるし。余計な煩悩や不純物が排除された状態で、大好きな場所で絵を一日中描いていればもうそれだけでしあわせ、というばあさんになりたいです。時間に追われるような生活からは開放されて、植物や動物みたいに地球のバイオリズムだけに自分を合わせて生きていけるような暮らしが理想的。それが成就できれば最高ですし、死ぬ時もきっと幸せでいられるはず。
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