その2つが、「ユーザーフレンドリー」と「デベロッパーフレンドリー」である。
ユーザーフレンドリーとはつまり、求めやすい価格での提供であり、ライフスタイルの変化に伴うゲームプレイの提供でもある。そしてデベロッパーフレンドリーとは、先ほどハウス氏が述べたように、開発者に開発しやすい環境を提供することだ。
まずはユーザーフレンドリーについて。伊藤氏は「『PS4』を開発し始めた頃から世の中の状況は変わってきた」と述べ、具体的には「家で腰を落ち着けて遊ぶよりも、外で空いた時間に気軽に遊ぶスマホゲームへの移行が進んできた」と語る。そこで出した結論は、「没入感のあるゲーム体験を大事にしながらも、その世界をいかに手軽に外に持ち出し、スマートフォンやタブレットと連携するか」というものであった。
また、開発者支援(デベロッパーフレンドリー)としては、インディーズゲームを採用し、独立系開発者をビジネス面でもサポート。「制作する上での自由」「いつでも好きなときに発売できる自由」「どのプラットフォームでも自由に発売できる自由」という3つの自由を強調した。
すなわち、これまで通り、大手ライセンシーから発売される大作ソフトはコアユーザー向けに提供しつつ、一方でiOSやAndroidのように、開発者が気軽にゲームを制作し、発売できる「場」も提供するということである。プレイステーションは、任天堂のハードや携帯デバイスと比較するとコアなゲームユーザー向けのイメージが強いが、今後はライトなユーザーも取り込んでいく戦略をはっきりと示したことになる。
そうした戦略の一環として『PS4』に採用されたコントローラーが、『デュアルショック4』である。従来の『デュアルショック3』と比べると形は似ているものの、「実際にゲームをプレイするとそのフィット感の違いを体験できる」と伊藤氏は自信をのぞかせる。
また、『デュアルショック4』にはこれまでなかった「シェアボタン」やタッチパッドが採用されている。シェアボタンではゲームの画面を手軽にSNSに投稿できる機能で、これによりスタートボタンとセレクトボタンはオプションボタンとして統一されることになる。
さらにタッチパッドがゲームの入力の幅を広げるほか、『PS4』にヘッドセットを挿す端子がついていたり、『デュアルショック4』にスピーカが搭載されていたりと、ゲーム体験の広がりを感じさせる様々な機能が加わっている。
ここで、伊藤氏からある重要なポイントが語られた。それが、これまで匿名だったPSN IDに実名登録を採用したという発表だ。
誤解のないように言っておくと、今までどおり匿名でのPSN対戦は可能である。だが、伊藤氏によると「コアゲーマーは匿名での対戦が苦にならないが、ライトユーザーは匿名でフレンドリクエストがきてもなかなか承認できない。実名なら友だちからのフレンドリクエストも誰だかすぐにわかるので、敷居が下がる」のだと言う。匿名を排除するのではなく、あくまでゲームの裾野を広げることを目的とした措置なのだ。
この後、ステージ上ではワールドワイドスタジオプレジデント・吉田修平氏が実際に『PS4』と『PS Vita TV』、そしてスマートフォンを使った連携デモを実施。『PS4』で遊んでいたゲームの続きを『PS Vita』で遊んだり、スマートフォンの『PS App』と『PS4』を連携させてみせた。
最後に伊藤氏は、「『PS4』は、『PS Vita』、『PS Vita TV』、スマートフォン、タブレットと連携して新たなエンターテインメントを提供して参ります。世界中どこにいてもPSの世界を楽しめ、家の中、外でもエンターテインメントを仲間と一緒に楽しめる世界を皆様と一緒に作り上げていきたいと思います」と挨拶して、基調講演を締めくくった。
講演終了後、実際にSCEブースを訪れてみた。ブースには『PS4』や『PS Vita TV』が展示されており、特に『PS Vita TV』は想像以上にコンパクトで、まさに手のひらサイズ。これなら筆者の狭い一人暮らしの部屋に設置するのも苦にはならないだろう。
基調講演でのデモや講演内容からは、プレイステーションはこれまでのコアゲーマー向けというイメージから、よりカジュアルで"リビングにあるのが当たり前"という立ち位置を目指して舵を切ったように思われる。デバイス間の連携の強化や、インディーズゲームの支援という施策はその最初の一歩だろう。特にインディーズゲームのサポートは面白い方向性だ。タイトルが不足しがちな次世代ハードのスタートダッシュの助けとなるのではないだろうか。
一方で、ハウス氏や伊藤氏が「没入感のあるゲームこそがプレイステーションのDNA」と何度も強調していた通り、従来のユーザーにも引き続きコアなゲームを提供してくれるというのは、ゲーマーとしてはうれしい限りだ。プレイステーション4がどんな新しいユーザー体験を提供してくれるのか、期待して待ちたい。