SDKを用意し、ソフトウェア開発を推進
標準搭載されたアプリケーションも充実し始め、それまでの「MS-DOS Executive」が担っていたファイル操作とアプリケーションの実行を、「ファイルマネージャー」がファイル管理を担い、アプリケーションの実行環境として「プログラムマネージャー」が担うようになります。ファイルマネージャーが後のエクスプローラーに連なるのは見た目からもわかるとおりで、MS-DOS時代のファイラーに慣れたユーザーには少々機能不足でした。
一方のプログラムマネージャーは、拡張子「.grp」を持つバイナリファイルで、プログラムグループに登録したアプリケーションを登録していましたが、同ファイルを直接編集する術がなかったため、ユーザーは同バイナリファイルを直接バックアップするといったテクニックが利用されていました。付属アプリケーションとしては、テキストファイルを扱う「メモ帳」や、簡易的なワープロ機能を持つ「ライト」が大幅に機能拡張され、標準ゲームとして「リバーシ」「ソリティア」が付属しています(図07~09)。
このようにOSとしてようやく“使い物になる”ようになったWindows 3.0ですが、大きな特徴はカラー化を強調したことでしょう。EGA(Enhanced Graphics Adapter)やVGA(Video Graphics Array)環境で16色、一部のグラフィックアダプター環境では256色を初サポート。もっとも、2年前となる1988年にリリースされたMacintoshの「System Software 6」ではカラー表示も可能になったことを踏まえますと、ようやくライバルOSと並び得ることができた、と述べるのが正しいのでしょう(図10)。
Windows 3.0から搭載された新機能では、その後のWindows XP時代まで使われ続ける描画管理技術のGDI(Graphic Device Interface)に触れないわけにはいきません。デバイスの調整と抽象化が主な役割となるGDIを備えることで、フォントのレンダリングやパレット制御などをOSに預けることが可能になりました。また、このようなロジックをAPI(Application Programming Interface:簡潔にプログラムを記述するためのインターフェース)として取りそろえるだけでなく、SDK(Software Development Kit:ソフトウェア開発キット)を用意。
ソフトウェア開発者は、デバイスドライバーの開発にも労力を払わず、アプリケーションも機能面や操作性といった核心部分に注力することが可能になり、その後Windows OSが成功する下地を作ったと述べても過言ではありません。
また、翌年の1991年には、Windows 3.0にマルチメディア機能を追加する「Windows 3.0 with Multimedia Extensions」をリリース。プラットフォームとなるIBM PC/AT互換機はそもそもビジネス向けコンピューターであったため、マルチメディア機能に関しては積極的ではなく、同世代のコンピューターと比較しても優れていたとは言いがたいのは事実です。当時市場に並び始めたCD-ROMドライブやサウンドボードをコンピューターに組み込むことで、初めてWindows OS上で音楽や映像を楽しめるというものでした(図11~12)。
1991年1月には日本語版Windows 3.0が、1991年10月20日にはバグフィックス版となるWindows 3.0Aがリリースされています。ベースとなる英語版は1990年5月だったことを踏まえますと、半年程度で移植できたのは、当時のMicrosoftとNECの円滑な関係性によるところが大きかったのでしょう。蛇足ですが、英語版と日本語版における発売日の差異は、Windows 95のリリース以降短縮されました。各国語版Windows OSのコンポーネントやデバイスドライバーと、言語リソースを切り離したシングルバイナリ化したWindows 2000以降、遅延は発生しなくなっています。
残念ながら日本市場におけるWindows 3.0は成功したとは言いがたいものでした。1990年時点のPC-9801シリーズは「PC-9801DA/DS/DX」が11月に発売されており、ライバル機にあたるセイコーエプソンのPC-9800シリーズ互換機も「PC-386S」が1990年12月に発売。まだまだPC-9801シリーズが日本のコンピューター市場が席巻(せっけん)していました。その一方で同年は日本アイ・ビー・エムが、ソフトウェアベースで日本語の表示が可能になるOS「DOS/V」をリリース(正式名称は「IBM DOS J4.0/V」)。このように、まだ“海のものとも山のものともつかぬ”Windows OSよりも、既存資産を活用できるDOSベースが強かったのです。
また、豊富なビデオアダプターが選択可能だったPC/AT互換機と異なり、ビデオアダプターを変更できないPC-9801シリーズでは、徐々に高解像度化が始まっていたOSに追従できません。しかも、同じ購入予算でPC-9801シリーズはIntel 80386搭載モデル、PC/AT互換機は1989年にリリースされたIntel 80486搭載モデルを購入できるなど価格的なアドバンテージを備えたPC/AT互換機ブームは、その後ブームを思い出せば明らかでしょう。DOS/Vに関する話は冗長になりますので、次回以降に述べることとします。
いずれによパーソナルコンピューターが浸透していた英語圏では、実用的なGUI搭載OSとして高く評価されたWindows 3.0でした、日本国内の評価はマニアの玩具(おもちゃ)にとどまっていたのです。
「Windows 3.0」の紹介は以上です。ナビゲーターは阿久津良和でした。次回もお楽しみに。
阿久津良和(Cactus)
本稿は拙著「Windowsの時代は終わったのか?」を基に大幅な加筆修正を加え、公開しています。
参考文献
・A behind-the-scenes look at the development of Apple's Lisa(BYTE)
・Apple II(柴田文彦/毎日コミュニケーションズ)
・DIGITAL RETRO(ゴードン・ライング/トランスワールドジャパン)
・History of OpenVMS
・History of Windows
・MS-DOSエンサイクロペディア Volume1(マイクロソフトプレス/アスキー)
・OS/2の歩みを振り返る(元麻布春男の週刊PCホットライン/http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0111/hot464.htm)
・Red Hat Linux 7.0 入門ガイド
・Windows Vista開発史(Paul Thurrott/日経BPITpro/http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070130/259979/)
・Windowsの歴史(横山哲也)
・Windowsプログラミングの極意(Raymond Chen/アスキー)
・エニアック―世界最初のコンピュータ開発秘話(スコット・マッカートニー/パーソナルメディア)
・コンピュータ帝国の興亡(ローバート・X・クリンジリー/アスキー出版局)
・パーソナルコンピュータを創ってきた人々(脇英世/SOFTBANK BOOKS)
・パソコン創世記(富田倫生/青空文庫)
・ビルゲイツの野望(脇英世/講談社)
・新・電子立国 第05回 「ソフトウェア帝国の誕生/NHK」
・闘うプログラマー 上下巻(G・パスカル・ザカリー/日経BP出版センター)
・僕らのパソコン30年史(SE編集部/翔泳社)
・遊撃手(日本マイコン教育センター)