コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何げなく使っているWindows OSやOS XだけがOSではありません。世界には栄枯盛衰のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながら、ひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在するのをご存じでしょうか。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSに注目し、その特徴を紹介します。今回はGUIデザインが一つの目標に達し、OSとして使えるようになった「Windows 3.0」を取り上げましょう。
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三度目のチャレンジで完成したWindows 3.0
現在から数えて23年前となる1990年。東西ドイツの統合やイラクのクウェート侵攻、日本ではバブル経済が崩壊しつつあったように世界の形が大きく変化する中、Windows 3.0はデビューしました。この当時は世界の形が変わると同時にコンピューターを取り巻く状況も変化し、前年の1989年にはMac OS 6.xがリリース。余儀なくAppleを退社したSteven Jobs(スティーブン・ジョブズ)氏がNeXTを設立し、リリースしたNeXTcube(ネクストキューブ)用OSであるNeXTSTEPがバージョン1.0に達しました。先進的なOSはGUI(グラフィカルユーザーインターフェース)を実装する時代に差し掛かった頃です(図01~02)。
しかし、当時のMicrosoftにおける主力製品は依然としてMS-DOSであり、OEM(Original Equipment Manufacturing:相手先ブランドによる生産)版だったPC DOSでした。前回の記事でも述べたようにWindows 2.xは、他社のGUI実装済みOSの後塵(こうじん)を拝している状態。しかも、IBMは従来のDOSを捨ててOS/2に移行する方向性を打ち出し、Bill Gates(ビル・ゲイツ)氏はIBMと共に歩むか、独立独歩の道に進むか考えあぐねていたといいます。
1989年11月に行われたIBMとMicrosoftの共同声明は、「ハイエンドなコンピューターにはOS/2を、コンシューマー向けコンピューターにはWindowsを推奨」するものでした。細部には「LAN上のサーバーをサポートしない」「(Intel 80386の)32ビットフラットメモリモデルの非サポート」と厳しい制限がMicrosoftに設けられました。しかしMicrosoftとしては、IBMにWindows OSを認めさせるという大きな一歩となり、当時のIT業界では「Microsoftの独り勝ち」と受け取られました。
IBMサイドの声は「OS/2」を紹介した記事でも紹介しましたが、当時のパーソナルコンピューター担当責任者であるJames Cannavino(ジェームズ・キャナビーノ)氏とGates氏の確執、いや、IBM対MicrosoftというIT企業のバランスが変化しつつある時期の必然的衝突は決して小さくありません。IBMはMicrosoftから「OS/2をIntel 80386用に開発すべきだ」という意見をはねつけ、とある同社幹部が「(映画「ゴッドファーザー」のように)Gates氏のベットに馬の首をいれてやれ」という悪い冗談を言ったという噂もありました。
1982年のCOMDEXでデモンストレーションが披露されたGUIベースのOS「VisiOn(ビジオン:VisiCorpが開発)」に衝撃を受け、Windows OSの開発を初めて約10年。開発当初のコンピューターでは実現不可能だったグラフィックや演算処理も10年という長い月日は可能にしました。Macintosh向けソフトウェアの開発に携わって約7年。前年となる1989年あたりからIBMと距離を置きつつ、独自路線に進む準備を終え、ようやくWindows 3.0がリリースされました(図03)。
1990年5月22日に行われた発表会は、当時のコンピューター向けOSとしては盛大で、全米7都市・世界12の都市へ衛星中継し、Windows 3.0の発表を行いました。会場には6,000人ものプレスや関係者が集まり、MicrosoftがWindows 3.0に対する並々ならぬ意気込みが感じられます。発表と同時に販売されたWindows 3.0は、フルバージョンが149.95ドル。アップグレード版79.95ドルでしたが、瞬く間に大ヒット。OS/2より先にデビューした32ビットOSとなり、前述の共同声明を破った形になりましたが、最終的には全世界で300万本以上を売り上げ、Windows OSとして初めて成功したGUI搭載OSとなりました。