この曲をぶん投げられて、富野総監督は「こんなもんダメだ!」と言わずに「ふざけんなこの野郎、絵コンテで黙らせてやる!」と勝負を挑んだわけだ。そう考えるとOP冒頭の素っ裸のオーバーマンが走ってくるところからすでに田中公平氏の入れたコーラスのせいなのだろう。名シーンであるゲイナーとサラがダンス→なぜかスケート靴になって宇宙を背景にスケートダンス、というのもそう。この時サラが気持ちよさそうに舞っているのに対し、ゲイナーが「何で僕こんなことやってんだろ?」という顔なのは、そのままサラ=田中公平、ゲイナー=富野由悠季に置き換えると恐ろしくしっくりくるのは偶然ではないはずだ。ちなみに大河内と吉田が「オーバーマンだからスケートをやる」と富野総監督が言ったのがツボに入ったらしく笑いながら「異論はないです」とコメント。確かにオーバーマンだから、という因果関係もおかしいし、スケートをやってるのはゲイナーとサラな時点で監督の頭の中でどんな繋がりがあったのか想像すると面白いというか、アイディアというのは論理的思考とは別のルートを通って導き出されるものなのだな、と思わざるを得ない。そのへんもたぶん田中公平という素っ頓狂なおじさんのせいなのだ。

主題歌の曲によって富野総監督の作品全体へのイメージが変わり、それがオープニング絵コンテとなってさらにそれを見た吉田や大河内も「ああ、キングゲイナーってこういうものなんだ」と理解していったという。吉田はオープニング絵コンテを見た時のことが日記に書いてあり、「よく分からないけど怒っていた」と回想。その数日後の日記で「分かった気がする」と翻意していたらしい。このように主題歌の強烈さが作品の方向性さえ左右していたことを筆頭に、製作方針がプランを立てて形にしていくやり方よりも、集まったスタッフの才能をどう活かして作品を作り上げていくか? という部分に力点が置かれていたことが分かる。

デザインに関してもオーバーマンというメカデザインの話で安田が「筋肉を使うロボットというアイディアがあって、それは永井豪先生の『アイアンマッスル』という筋肉ロボットが先にあって、それとかぶるのは負けた気がするので、服を着ているというデザインが出た」と話す。すると富野総監督は「この人(安田)は1キャラクターのデザインに平気で1年半かけるんですよ。その間にプロダクションが潰れたら……」と会場の笑いを誘う。対する安田は「ガンダムを越えないといけないという想いがあって。今時(のメカなら)関節なんか見えないだろというので描きました」と、オーバーマンのデザインのこだわりを語る。

才能とキャリアがかみ合う場を作るということ

ここでひとつお伝えしておきたいのは、富野総監督は自分以外の話を聞く時、まるで何かの勝負でもしているかのような真剣な目つきをしていたこと。それが安田の『アイアンマッスル』のエピソードの部分など、いくつかの話題の時にはすごく楽しそうな笑顔に変わるのだ。同じ作品を作る仲間であると同時にライバルでもある、という意識を10年前の作品を語る今現在でも持ち続けているというのはすごい。同時に本物の一流クリエイターとはそうでなければならないし、そうであるからこそ年齢やジャンルを問わず常に対等の関係でモノ作りに取り組めるのだということも強く感じた。

富野総監督は言う。「この作品を作ることでいろいろな才能と出会えた。そうすると(その才能に対して)潰すぞ! というところまでいきたい。でもそれができなかかったのが残念。だけどそういう才能に会えたのは貴重でした」

「潰す」というのはその才能に楽をさせないで限界まで力を引き出す、という意味なのだろう。そこまでやることがアニメを作るということ、作品作りなのだという姿勢が見える。そんな富野総監督を、安田は働き者だという。「富野さんは偉い立場の人なのによく働くんです。『∀ガンダム』の時も僕のキャラデザが遅いと自分で描いて出してくるんですよ。で、お前早くやらないとコレに決定するぞと。恐ろしいですね」なお、オーバーマンのデザインも富野総監督が出してきて、いくつか採用されたそうだ。総監督としては、アニメはひとりで全部やってはいけない、全部できちゃう天才もいるけど、週一でオンエアされる作品でそれはできない。集まったみんなの味を出していくことを心がけているそうだ。

これは最初の方で富野総監督自身が語った「多くのスタッフの才能や色が出ているからこれは富野作品ではない」ということと矛盾しているというか、富野総監督はすでに「富野作品」と呼ばれるものを作ろうとしていないように見えなくもない。だが生の人間が大好きな人であることから察するに、自分も含む現場全員での壮絶な才能の潰し合いの末に、勝つのは俺だ! というのが理想なのかもしれない。……続きを読む