Windows 1.01登場!

Windows 1.0の話を始める前にVisi On登場以降の話を少々述べておきます。前述のとおりCUI環境からGUI環境へ移行しつつあった1980年代前半ですが、1984年にはIBMが「TopView(トップビュー)」を発表し、1985年にはMS-DOSのメモリ管理システムで有名だったQuarterdeck Office Systems(クオーターデック)が「DESQview(デスクビュー)」をリリース。

各社がこぞって既存のOS上で動作する次世代のGUI環境をリリースしていましたが、中でも大きな存在となるのが、Gary Kildall(ゲイリー・キルドール)氏のDigital Research(デジタルリサーチ)です。同社がリリースしたGEM(Graphical Environment Manager)は、DR-DOS向けのGUI環境として以前から開発が進められていました。同社はGSX(Graphics System eXtension)というグラフィカルな出力を行う汎用システムの開発を行い、その研究結果を具現化したのがGEMというGUIシステムです(図03)。

図03 DR-DOSで有名なGary Kildall(ゲイリー・キルドール)氏の会社Digital Researchがリリースした「GEM(Graphical Environment Manager)」。画面はFreeDOS上で動作するOpenGEM

最終的にDR-DOSはMicrosoftとの熾烈なシェア争いに敗北し、1991年10月にNovell(ノベル)へすべて売却されましたが、Digital Researchに開発資金や優秀な人材が豊富であれば、MicrosoftとDigital Researchの関係は入れ違っていたかも知れません。

さて、「Interface Manager」の開発プロジェクトは1981年9月からスタートしたと言われています。どのようなスタッフが集まったのか知り得る資料は手元にありませんが、Microsoftがその存在を公にしたのは2年後の1983年11月のInfoWorldというコンピューター雑誌。現在でもGoogle Booksで当時の記事を確認できますが、この時点で「Windows」という単語が用いられます。さらに2年後の1985年11月20日。Microsoftとしては初のGUI採用OSとして「Windows 1.0(バージョン1.01)」が世にデビューしました(図04)。

図04 Google Booksで参照できる「InfoWorld(1983年11月21日発刊)」。表紙にはスクリーンショットとして開発途中版のWindows 1.0と、当時のMicrosoftロゴが確認できます

Windows 1.0はInterface Managerをスタート地点としているため、当時のメインOSであるMS-DOSとの親和性は非常に高く、事実上のランチャーという存在でした。現在と異なり、最初にMS-DOSを起動し、その上でWindows 1.0を起動します。この仕組みは後のWindows 3.xまで続きました。当時のコンピュータースペックは現在では思いも寄らないほど低く、Windows 1.0のシステム要件もCGA(Color Graphics Adapter:320×200ピクセル・4色)/EGA(Enhanced Graphics Adapter:640×350ピクセル・64色中16色)/HGC(Hercules Graphics Card:720×348ピクセル・モノクロ)の描画能力と256キロバイトの物理メモリ、FD(floppy disk)ドライブもしくはHDDというもの(図05)。

図05 1985年11月20日にリリースされた「Windows 1.0」の起動画面。Microsoftのロゴは当時ものです

このような描画環境ですからこそ、肝心のウィンドウシステムも簡易的なものにとどまっていました。現代のようにウィンドウを重ね合わせる機能は一部のメニューやダイアログボックスにとどまり、"並べて表示"で整列するタイル状の表示機能のみ。つまり、タイリングウィンドウシステムを採用したことになります。この点についてPARCから移籍した開発者の一人であり、開発チームリーダーを務めたScott McGregor(スコット・マクレガー)氏は、「ユーザビリティを優先させるため簡略化した」と述べていました(図06)。

図06 Windows 1.0のメイン画面に電卓とファイラーを起動した状態。内部バージョンは1.01となります

Windows OSは確かにLisaやAltoに影響を受けたと言われていますが、正しくはPARCで研究開発されていたCedar(シーダー)の存在が大きいでしょう。当時のPARCが開発していた開発環境の一種であるCedarは同時にGUI環境を備えており、独立したOSではありませんが、各方面に影響を与えています。前述したMcGregor氏がPARCからMicrosoftへ移籍したことを踏まえますと、Mac OSというよりもCedarに似ていたのは自然な流れでしょう。ただし、完成度の低さから開発チームは解散し、McGregor氏も退社。なお同氏は、現在Broadcom(ブロードコム)のCEOを勤めています(図07)。

図07 当時PARCの研究者だったWarren Teitelman氏が書いた「A Tour Through Cedar」

決して使い勝手が良いとは言えなかったWindows 1.0ですが、当時既にアイコンシステムを採用し、最小化したアプリケーションはデスクトップ下部に表示される仕組みが備わっていました(図06の画面ではメモ帳が最小化しています)。ただし、ドラッグ&ドロップはサポートされておらず、ウィンドウも自由にリサイズできないため、ファイラー的な役割を担うMS-DOS Executive経由でアプリケーションを起動しなければなりませんでした(図08~11)。

図08 複数のアプリケーションを起動しますと、画面解像度の関係から使用するのが難しくなります

図09 アプリケーションとして「ペイント」も存在しますが、モノクロ画像しか編集できません

図10 Windows 1.04のセットアップ画面。せんたくできるグラフィックアダプターが増えています

図11 日本国内でリリースされたWindows 1.0日本語版。バージョンは1.03が使用されました

その後1986年5月にはバージョン1.02、3カ月後の1986年8月には初の国際バージョンとなる1.03をリリース。そして翌年の1987年11月に最終版となるバージョン1.04をリリースしています。一方日本ではバージョン1.03をベースに日本語化した「Windows 1.0日本語版」が、当時のコンピューターである「PC-9801VX4/WN」にバンドルされ発売されました。記憶が確かなら、同モデルは1986年11月に73万円で発売されました。NECからWindws 1.0日本語版のパッケージが発売されたのは翌年の1987年。初期のWindows OS日本語版は、アスキーマイクロソフトとNECで共同開発していたため、このように早期からバンドルするという決断を下せたのでしょう。

Windows 1.0が備える改善点や進むべき方向性などの問題は、1987年12月にリリースされる「Windows 2.0」へ持ち越されました。Windows 2.0の話は稿を改めさせてください。「Windows 1.0」の紹介は以上です。ナビゲーターは阿久津良和でした。次回もお楽しみに。

本稿は拙著「Windowsの時代は終わったのか?」を基に大幅な加筆修正を加え、公開しています。

阿久津良和(Cactus

参考文献

・A behind-the-scenes look at the development of Apple's Lisa(BYTE)
・Apple II(柴田文彦/毎日コミュニケーションズ)
・DIGITAL RETRO(ゴードン・ライング/トランスワールドジャパン)
History of OpenVMS
History of Windows
・MS-DOSエンサイクロペディア Volume1(マイクロソフトプレス/アスキー)
OS/2の歩みを振り返る(元麻布春男の週刊PCホットライン)
Red Hat Linux 7.0 入門ガイド
Windows Vista開発史(Paul Thurrott/日経BPITpro/)
Windowsの歴史(横山哲也/) ・Windowsプログラミングの極意(Raymond Chen/アスキー)
・エニアック―世界最初のコンピュータ開発秘話(スコット・マッカートニー/パーソナルメディア)
・コンピュータ帝国の興亡(ローバート・X・クリンジリー/アスキー出版局)
・パーソナルコンピュータを創ってきた人々(脇英世/SOFTBANK BOOKS)
・パソコン創世記(富田倫生/青空文庫)
・新・電子立国 第05回 「ソフトウェア帝国の誕生/NHK」
・闘うプログラマー 上下巻(G・パスカル・ザカリー/日経BP出版センター)
・僕らのパソコン30年史(SE編集部/翔泳社)
・遊撃手(日本マイコン教育センター)