――「幼児虐待」というテーマを扱うにあたって心がけたことはありますか。
養護施設の子どもに関する取材を重ねました。養護施設って孤児院みたいな感じではなくて、普通の一軒家やマンションの一室で擬似家族のように生活しているんです。そのシステムはすごくすばらしいんだけど、そこで賄えないくらい保護を求める声が集まっています。現場取材をして、そこで昼夜問わず働いている人を見た時に、これは根が深い問題だなと思いました。だからこそ、僕はこの映画に希望の種を落としたかったんです。
――4歳の圭輔を虐待する母は、「絆」を理由に助け合いを求め、震災でノイローゼになったことを必死に訴えていました。そこがとても際立って描かれているように感じました。
あの姿がほとんどの日本人の姿だと思います。かなり極端に、象徴的にはしていますが。「絆」の話題で盛り上がるのは「絆」がなかったから騒いでたのではないかと思います。失っていた、気づかなかったものに気付かされたのではないでしょうか。結婚する人が増えて、一時期ブームにもなりましたよね。
以前、『山本五十六』の映画を撮りました。300万人もの方が亡くなり一億総特攻と言われていたのが、敗戦後のマスコミは手のひらを返して民主主義万歳になり、国民もその流れに引き寄せられていきました。こうして振り返ってみると、太平洋戦争が終わった後の状況と比べても今は何も変わってないんだということが分かります。それっていいことなのだろうかと、この映画では問いかけたかったんです。
――本作での監督の"挑戦"とはその問いかけだったのですか。
もちろん、今やりたいことの1つにありましたから、これも挑戦でした。人って何かに頼ってしまえば楽になりますが、日本は宗教の国ではありませんし、マスコミの情報などを信じればすごく楽に生きていける国です。この物語に登場する遠間や富樫や貴志子はそういう人ではありません。困っている人を前にするとはっきりNoと言えず、見て見ぬふりができない。その善人たちのつながり、「絆」によって幸福な道が見えていきます。そこに何かに頼るのではなくて、やっぱり自分の感じたこと、自分の足で踏み出すことによって「希望」という結論に至れるのではないかという思いを込めました。
――映画のラストでは自分たちの足で踏み出し、フンザへと旅立つわけですが、フンザはいかがでしたか。
パキスタンでは、女性は目元まで隠している人がいたり、間違ってカメラを向けるとすごく怒られたりという場所もあったのですが、フンザへ入ると一変して、女性も顔を見せているし、子供たちもかわいい。笑顔もあふれていて、非常に人間らしい暮らしで、ウルタルに囲まれたきれいところだったのですごく感動しました。そういう環境に身を置くと、日本で僕等が描いている幸せって何だろうって思いますよね。そういう意味で彼らにも旅は必要でした。なかなかパキスタンには行けないと思いますが、一緒に彼らと旅をして新鮮な気持ちになっていただければなと思います。
――いよいよ公開ですね。
育児放棄や虐待の問題が物語のベースにはありますが、娯楽作品ですので、大前提として楽しんでもらいたいですね。ただ、観た後に「説教」ではなく、少しだけ考えてもらえたら嬉しいですね。
(C)2013「草原の椅子」製作委員会