初の漢字Macintosh「DynaMac」
筆者の倉庫には、1984年当時のコンピューター雑誌を数冊ほど残していますが、コンピューターを一つの文化として確立させようと尽力していた「遊撃手」という雑誌の表四にはApple IIcの広告ばかり。この広告を出稿していたのが当時のキヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)。その関係からか、日本国内の販売代理店として同社がMacintoshを発売していました。
当初は並行輸入版をそのまま販売していたように記憶していますが、ユニークなのは初代モデルのメモリを512キロに増強した「Macintosh 512K」に漢字ROMボードを搭載した「DynaMac(ダイナマック)」という存在です。エルゴソフトの日本語入力システム「EG Bridge」をバンドルし、日本語入力や表示を可能にしていました。今にして思えば、自身がコントロールできていないためにApple IIを非難したJobs氏が、ハードウェアの改良をよくも許可したものです。
同氏の自伝によるとMac OSをライセンスし、Macintoshのクローンを作るという提案にも激しく拒否したJobs氏ですが、1985年初頭のApple ComputerはMacintoshの販売初速が落ち込んだのも遠因でしょう。そもそもMac OSの設計は初代Macintoshのハードウェアスペックでは物足りず、最低でもLisa程度の構成が必要だったはず。その一方で排熱に欠かせないファンを備えていなかったため、熱暴走をよく起こしていたそうです。加えて1984年時点の同社の売り上げは70パーセントがApple IIでした。革新的かつ先鋭的だったMacintoshおよびMac OSですが、それが直接会社の利益につながるのは先の話です。
当時、アップルコンピュータージャパン社長である福島正也氏は、日本語ワープロソフト「Lingo」の開発にあたり、Macintoshの漢字ROM搭載バージョンをJobs氏に提案しましたが、けんもほろろの対応だったそうです。このJobs氏の意見を百八十度変更させたのが、キヤノン製の業務用DTP専用機「EZPS」。東京国際見本市会場で1985年に開催されていたデータショー(現CEATEC JAPAN)にデモ出典されていた同ワークステーションはMacintoshというよりも、Xeroxの「Xerox Star」に類似しており、価格もレーザープリンターとセットで数百万と、Macintoshとは異なる存在でした。このハードウェアを目にしたJobs氏は、ようやく日本語に対応するMacintoshの「漢字化プロジェクト」にGoサインを出すのです。
しかし、1985年4月11日。Jobs氏らが社長として招いたJohn Sculley(ジョン・スカリー)氏に、Macintosh部門のトップから辞任させられ、同プロジェクトは一度停滞することになります。再び日の目を見るために尽力したのが、同社のジェームス比嘉氏。話はMacintosh XL(LisaにMacintoshエミュレータを搭載したモデル)の開発に携わっていた本社プログラマのKen Krugler(ケン・クルグラー)氏が、リフレッシュ休暇を利用してアップルコンピューターを訪ねた時までさかのぼります。
Krugler氏と比嘉氏は、当時のMacintoshにおける日本語表示システム開発に尽力し、キヤノン販売も着々と準備を進めていました。しかし、前述したプロジェクトの停滞が発生すると、比嘉氏は未完成の日本語化したExcelを上司に見せ、ようやく漢字化プロジェクトが復活に至ることになります。ここから参加するのが本社のプログラマであるMark Davis(マーク・デイビス)氏。ちなみに同氏は後にUnicode Consortiumの社長となったことからもわかるとおり、多言語化に明るい方でした。
このような紆余曲折を経て、漢字ROMを搭載したDynaMacは1985年5月に発表されました(発売は同年8月20日)。結局のところアップルジャパンとキヤノン販売の両者で生み出した日本独自のMacintoshは、商業的に成功したとは言えません。しかし、このDynaMacに至る日本市場へ参加しようという試みがあったからこそ、OSレベルで日本語をサポートする「漢字Talk 1.0」にたどり着き、1986年にMacintosh Plus-Jと共に発表されたのです。
話が長くなりましたので、続きは後編に続きます。ナビゲーターは阿久津良和でした。次回もお楽しみに。
阿久津良和(Cactus)
参考文献
・Wikipedia
・スティーブ・ジョブス/ウォルター・アイザックソン(講談社)
・パーソナルコンピュータを創ってきた人々/脇英世(ソフトバンククリエイティブ)
・レボリューション・イン・ザ・バレー/Andy Hertzfeld(オライリージャパン)
・遊撃手(日本マイコン教育センター)
・林檎の樹の下で/斎藤由多加(オープンブック)