北野監督は同シリーズを「観客に向けたエンタテインメト作品」と位置づける。例えば黒澤明監督が傑作と評し、クエンティン・タランティーノ監督がフェイバリットと公言している、北野監督の1993年の『ソナチネ』と比べても、演出の方法論からして違う。「最近のバラエティー番組を見ていると、出演者の話す言葉を全て吹き出しテロップにして、視聴者はそれを読んだ後に笑うという妙な状況がある。だから、映画でも"俺はお前が嫌い"というような、わかりやすいセリフを入れなければいけないと思ってね。そういった意味では丁寧な作品かな」と説明。三浦が「従来のヤクザ映画とは違って、登場人物の背景もわからないし、何も背負っていない。だから相手を殺めても怒鳴っても罪の意識はない。そういう意味では爽快感のある役柄だし、現場だった」と述懐するように、ヤクザ映画でありながら、観賞後はスッキリするエンタインメント作に徹したのだ。
"スッキリ"とは『アウトレイジ ビヨンド』にとって重要なワードかもしれない。今作は東日本大震災後に製作された映画である。実際に製作は震災の影響で1年間延期となった。邦画では、震災後の日本を舞台にした作品も生まれつつあるが、北野監督は「今回の映画では、観客にスッキリしてほしという思いはある。でも自分の作品が社会にどう影響するかなんて期待していないし、あくまでエンタテインメントだと思ってるからね。それに頼りがいのない政治家ばかりの日本において、社会に対してモノを作れるわけがないと思うし、国に対して言いたいことがあるなら、映画なんか作らないでまだデモをした方がいいかもしれないよ」と思いを述べる。
そしてもう一つ重要なのが、キャラクターに対する共感だろう。登場するのは全員がヤクザであり、悪人である。しかし、若手が古参を追い越し、その古参に恨みを抱かれ、古参は別の者と結託する、などという展開はヤクザ社会に限った出来事ではない。北野監督も「人間社会の規律やルールに当てはめると悪人かもしれないけれど、こんなゴタゴタは企業によくある話。観客は、どの人物が自分に近いかを当てはめられるだろうし、政治家に当てはめたら一番面白いんじゃない?」と笑う。ヤクザを体現した三浦も「役作りのイメージは政治家ですね。会長が椅子に座ったら皆座るという図式も同じだし、SPだって付いている。車だって黒塗りだし、政権争いや派閥争いも一緒。殺さないだけで、あとは同じだよね」と、作品のもう一つの見方を教えてくれた。映画『アウトレイジ ビヨンド』は現在公開中。