終わりを迎えたOS/2 Warp 4.x
1996年9月には、「Merlin」の名で開発が行われていた「OS/2 Warp 4」が登場しました(日本語版は同年12月)。WPSを刷新し、Javaや音声でファイルやウィンドウを管理するVoiceType(後のViaVoice。2009年に販売終了)が付属しています。ネットワーク機能をさらに強化して、OSとしての完成度はさらに高まりました。
前述したようにOS/2 for PowerPCは失敗しましたが、そこで生み出された成果はOS/2 Warp 4に反映されています。現在でも確認できる日本アイ・ビー・エムのプレスリリースでは、"データへのアクセス性を向上させる優れたクライアントOS"と説明。また、同年は「Yahoo! JAPAN」がサービスを開始するなど、インターネットが注目を集めた年です。そのため、OS/2 Warp 4を"理想的なインターネットクライアント"と称していましたが、Webブラウザーは同梱されておらず、後日リリースされたNetscape Navigator for OS/2を追加しなければなりませんでした。
しかし、ここでもIBMは先行するMicrosoftの後塵(こうじん)を拝することになります。前年の1995年に登場したWindows 95の大ヒットは日本国内でも大きく報道され、OS/2をプリインストールで販売するコンピューターは皆無。前バージョンであるOS/2 Warp V3と同じく、関心を持つユーザーは一部に限られます。Appleが開発したOpenDocやJava仮想マシンを実行する環境として優れた面を多数持ちながらも、Windows 95という激流に逆らうことはできませんでした。
IBMとしてはOS/2 Warp 4の不振により、コンシューマー向けOSから撤退。1999年にはサーバーOSである「Warp Server for e-business」を発売しましたが、この流れをくんだOS/2 Warp 4.51を1999年(日本は2001年)にリリースしました。ジャーナリングファイルシステムや理論ボリュームマネージャーを搭載するなど、かゆいところに手が届く改良が加えられ、ユーザーの間では"OS/2 Warp 4のコンビニエンスパック"と称されました(図09)。
その後も2000年後半にはバージョン4.51に相当する「Convenience Package for OS/2 Warp 4」、2002年にバージョン4.52相当の「Convenience Package for OS/2 Warp 4」とマイナーバージョンアップを繰り返してきましたが、2006年12月には基本的なサポートを終了することをWebページで告知し、その幕を閉じています(図10)。
しかし、根強くOS/2を使い続ける一部のユーザーは世界各国に残されており、海外ではOS2 World.Com、日本国内ではThe Japanese OS/2 Warp siteでユーザー間の交流や情報交換が行われてきました。その一方で期待が集まるOS/2のオープンソース化ですが、IBMは法的および技術的な理由に、2005年と2007年にオープンソース化を求めたユーザーの嘆願を拒否しています。
そのため、残念ながらOS/2上で具現化していたコンセプトを目にすることはできないのが現状ですが、他のOSと同じようにOS/2のクローンOSを作ろうという人々が出てきてもおかしい話ではありません。執筆時点ではosFreeとOS/4 PHOENIX PROJECTと二つのプロジェクトを確認できますが、期待できるのは前者でしょう。進捗状況もさることながら、OS/2のソフトウェアをLinuxに移植するOS2LinuxやREXXを再現するRegina REXXなど既存のオープンソースプロジェクトを参考に、開発速度を加速させているからです。OSFee自体はαベースのため、実用レベルに達していませんが、バイナリコードレベルでの互換性を実現すれば、世界中に残っているOS/2愛好者が殺到するプロジェクトになるのではないでしょうか(図11)。
OS/2の紹介は以上です。ナビゲーターは阿久津良和でした。次回もお楽しみに。
参考文献
・IBM 日本IBM創立75周年 ヒストリー
・OLD-COMPUTERS.COM Museum
・OS/2 Museum
・OS/2 Warp News and Rumors ・OSNews ・The Japanese OS/2 Warp site ・Wikipedia ・パーソナルコンピュータを創ってきた人々/脇英世(ソフトバンククリエイティブ) ・闘うプログラマー/G・パスカル・ザカリー(日経BP出版センター)
阿久津良和(Cactus)