コンピューターというハードウェアを活用するために欠かせないのが、OS(Operating System:オペレーティングシステム)の存在です。我々が何げなく使っているWindows OSやMac OS XだけがOSではありません。世界には栄枯盛衰のごとく消えていったOSや、冒険心をふんだんに持ちながらひのき舞台に上ることなく忘れられてしまったOSが数多く存在します。「世界のOSたち」では、今でもその存在を確認できる世界各国のOSを不定期に紹介していきましょう。今回は「MSX」上で動作する各種OSを紹介します。
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国民的人気を博した「MSX」
2012年現在、30代以上の方なら一度は耳にしたことがある「MSX(エムエスエックス)」という単語。今から30年前の1980年代に生まれたコンピューターの規格名です。当時のコンピューター業界は、各社独自のアーキテクチャを採用したコンピューター(当時はマイコンと呼ばれていました)を発売し、互いがしのぎを削っていた時代。
三宅島が大噴火し、ロッキード事件で田中角栄元首相に実刑判決が下された1983年にMSXはデビューしました。正しくは、当時Microsoftの極東担当副社長でありアスキーの副社長だった西和彦氏が、1983年6月27日に日本国内で規格を発表。その後各MSXマシンが発売され、実機が出揃ったのは翌年の1984年です。1980年前半は"8ビット御三家"と呼ばれるNEC、シャープ、富士通の三社が破竹の勢いを奮っており、パーソナルコンピューター市場に乗り遅れた各社が参加した形でした。
社名を並べますと、カシオ計算機、キヤノン、京セラ、ゼネラル(富士通ゼネラル)、三洋電機(現パナソニック)、ソニー、東芝、日本ビクター(現JVCケンウッド)、パイオニア、日立製作所、富士通、松下電器産業(現パナソニック)、三菱電機、ヤマハの計14社。8ビット御三家に数えられていた富士通が参加していたのは不思議ですが、「FM-X」という名のMSXマシンを発売して早々に撤退。推測するに、1984年に発売した「FM-NEW7」に注力するためだったのでしょう。
一見しますと、どのメーカー製MSXマシンを購入しても一緒のように思えますが、例えば楽器に強いヤマハは音源チップを強化するなど、各社は独自の機能や自社カラーを打ち出し、他社との差別化を図っていました。前述の「FM-X」も「FM-7」と協調動作させるため、MSX仕様に一部準拠していなかったケースもあります。このような機能差を鑑みますと、MSXは"Windowsマシン"と呼ばれるPC/AT互換機の8ビット版と言えるでしょう(図01~02)。
広く普及した要因の一つが価格設定。一例を挙げますと1980年代のパーソナルコンピューターとして長く君臨した「PC-8801mkII SR」は1985年に発売されましたが、5.25インチドライブを二基搭載したモデル30の定価は25万8,000円。それに対して1984年に発売されたカシオの「PV-7」は2万9,800円を圧倒的な低価格を実現しました。最終的には70機種近くのMSXマシンが発売され、出荷台数は100万台を超えたそうです。
MSXがコンピューターとして特徴的だったのが、VDP(Video Display Processor)を搭載している点。描画に関する専用のプロセッサであり、CPUからVDPに命令を発するだけで描画処理は自動的に行われます。VDPとVRAMも直接つながっていたため、メインメモリーに対する影響も起きませんでした。どこかで聞いた話だと思いませんか。現在では一般的なGPUとPC/AT互換機の関係にそっくりです。ちなみにPC/AT互換機互換機の元祖であるIBM PCは1981年に米国で発売されており、MSXの開発陣はこれらの長所を踏まえて設計に当たったのかもしれません。
MSXのVDPはTexas Instruments(テキサスインスツルメンツ)のTMS9918を使用していました。SEGA SC-1000などのコンシューマゲーム機にも採用された同プロセッサの特徴はスプライト機能を備えている点です。スプライトとは画面上のキャラクターを高速に表示させる仕組みの一つ。ソフトウェア開発側としてはスプライト位置の変更だけで済みますので、開発負担はもちろん描画処理も向上する異なります。そのため高速なスクロールを行いながらも、キャラクターをスムーズに動かすゲームが多数登場しました(図03)。
盤石の土台を築いた「MSX2」
MSX誕生から二年後の月日を経て、登場したのが「MSX2」です。標準メモリーを64Kバイトに増加し(MSXは8Kバイト)、VDPをアスキーとMicrosoft、ヤマハで共同開発したV9938に変更することで、グラフィック機能を大幅に強化。それまで他のコンピューターと比べて弱点と言われていたグラフィックが強化されたことで、他の8ビットマシンに引けを取らないコンピューターとなりました。この頃は従来の一体型が大衆向けマシン、キーボードがマシン本体とセパレートされた高級型に二分され、筆者もサブ用(という名のゲーム専用機)として安価なMSX2マシンを購入した記憶があります(図04~05)。
1988年には、グラフィック機能を中心に強化を図った「MSX2+」が発売されました。同時発色数を256色から1万9,268色にまで拡大したV9958をVDPとして搭載し、漢字ROMを内蔵することでMSX-BASICから漢字表示を可能にしましたが、MSXからMSX2への大きな変革がなかったせいか、MSX2+マシンとして発売されたのは七機種程度にとどまっています。
V9958には、従来は縦方向だけだったスクロール機能も縦横両方に拡大して、ゲームマシンとしてのプラットフォームは強化されましたが、それを活かしきるタイトルが少なかったは、同年は任天堂の「ファミリーコンピュータ」が発売六年目に突入し、セガの「メガドライブ」がデビューした年。専用のハードウェア上で動作するゲームにユーザーが集まったのは必然だったのでしょう(図06~07)。
もちろんMSXはゲーム専用機ではなく、コンピューターとして魅力あるハードウェアでした。興味深いのは1990年に登場した「MSX turboR」。初代MSXから採用してきたZ80プロセッサに加え、アスキーが自社開発した「R800」を搭載しています。各MSXマシンに搭載していたZ80は3.58MHz(メガヘルツ)で駆動していましたが、R800を当てはめますと約29MHzでの駆動が可能。そのため、従来のMSX用ソフトウェアを実行しますと、速すぎて正常に動作せることができません。そのため、Z80+R800というデュアルプロセッサ構造を採用しました(図08)
プロセッサ周りだけでなくFM音源を標準搭載するなど、ハードウェア的には野心的で面白いものでしたが、同仕様に沿ったMSX turboRマシンを発売したのは松下電器産業のみ。1990年に「FS-A1ST」、翌年にメモリを512Kバイトに拡大した「FS-A1GT」を発売しましたが、1994年に発売終了。参画した企業が一社のみという時点でMSX turboRの終焉を感じることができるでしょう。
しかし、興味深いのがその後の流れ。MSXを愛するユーザーが日本各地でイベントを行い、俗に言う"同人ソフト"が発表されました。ハードウェア的なアプローチとしては、2002年にMSX2相当の「1chipMSX」を台数限定で発売。その一方で同年に発表された公式エミュレーター「MSXPLAYer」の存在は、根強く続くMSXの人気を裏付けるものです。