躍進するLinux
さて、1992年3月にリリースされたバージョン0.95あたりから、日本国内でもLinuxユーザーが集まるML(メーリングリスト)が立ち上げられるようになりました。国内動向に限って列挙しますと、Linuxの日本語入力・表示を行うLinux JE(Japanese Extensions)が登場したのが1993年5月。豊橋技術科学大学在住の真鍋敬士氏(現JPCERT/CC)が、SLS(Softlanding Linux System)というLinuxディストリビューション(詳しくは後述)を対象にパッケージのリストアップや整理を行いましたが、後にはSlackwareなど他のLinuxディストリビューションでも動作するようになりました。
Linux JEは真鍋氏が多忙になったことから、羽根秀也氏が中心になって同種のプロジェクトとなるPJE(Project Japanese Extensions)を立ち上げました。現在のLinuxでは当たり前のように使われている日本語ですが、ソフトウェアにパッチを当てて日本語化を行った開発者や、それをパッケージとして管理してきた方々、その情報をまとめて配布すプロジェクトチームと、さまざまな人の手によってLinuxというOSを広める努力が行われていたのです。
今度はLinux自身の話に戻しましょう。カーネルリリース後からLinuxの快進撃が始まります。三年後の1994年3月にはバージョン1.0.0、二年後の1996年6月にはバージョン2.0.0。このあたりからOSの核となるカーネルも安定し、安定版の偶数バージョン(2.0.x)、開発版の奇数バージョン(2.1.x)という切り分けが積極的に用いられるようになりました。筆者がLinuxというOSを知り、自身のコンピューターに導入して遊んでいたのもこの頃です。それまではSONYのNEWSなどUNIX互換ワークステーションマシンを横目で見ていただけでしたので、参考書を片手にWindows OSとは異なる世界を楽しんでいました。
この頃になると既にLinuxディストリビューションが出そろい始めました。そもそもLinuxとはOSの名称であると同時にカーネル本体を指す単語です。つまり、ソフトウェアを実行するための基本的なライブラリはもちろん、Windows OSやMac OS Xのように、デスクトップを描画するソフトウェアは含まれていません。そのため、日々進歩するLinuxカーネルをエンドユーザーが使用できるようにするため、一つの"パッケージ化"を行いました。これがLinuxディストリビューションです。
図05は「GNU/Linux Distribution Timeline」というサイトでまとめられているLinuxディストリビューションのタイムライン。画面サイズが2,120×8,750ドットとそのままでは掲載できないため、見にくい縮小画面を掲載しますが、全体を確認したい方は先のサイトからダウンロードしてください。さて、このタイムラインをご覧になるとわかるように、Linuxディストリビューションの源流に位置するのは「Debian(現Debian GNU/Linux:デビアン)」「Slackware(スラックウェア)」「Red Hat(レッドハット、現Fedora:フェドラ)」の三つです(図05)。
もちろん、slackwareのベースとなったSLSや、早々に独自路線を歩み始めたS.u.S.E(現openSUSE:オープンスーゼ)も古いLinuxディストリビューションに数えられますが、前者三つには勝りません。また、メジャーなLinuxディストリビューションである「Ubuntu(ウブントゥ)」も元を正せばDebian GNU/Linuxがベースになっています。このように開発ポリシーや企業のスタンスによって異なるLinuxディストリビューションが星の数ほどあり、ユーザーは幅広い選択肢があると同時に、使用者の分散化というデメリットも発生しました(図06~07)。