――その中で生まれた『ブッダ』が30年経った今でもこれほどまでに支持される理由は何なのでしょうか

大浦「『ブッダ』って仏教の教えを説く宗教漫画ではないんですよ。登場人物には、チャプラやタッタなど手塚先生が作られた実在ではないキャラクターもいますし、フィクションでありエンターテインメントなんです。そのフィクションを追求する中で、当時のインドの状況や仏教が発祥する背景が見えてくる。そこから人の生き方とか、心の豊かさってなんだろうとか、そういった皆さんの悩みに引っかかる部分があったのが、時代を超えて残ってきた理由なんじゃないかと思います。あとは手前味噌ですけど、手塚先生も編集者も一生懸命取り組んだことで、読者の方に何かを感じてもらえたのではないかと、そう思いたいですね」

――手塚先生はどんな方だったのでしょう

大浦「非常に貪欲な方でした。大御所だから孤高の人という感じでもよかったのかもしれませんが、そうではなかった。たとえば当時は劇画の時代でしたから、手塚先生も劇画を意識した線を描かれたり、あとは『何が売れてますか』と尋ねられたり。あるいは手塚プロのアシスタントがデビューしたら、『人気はどうですか』と気にされるんです。これは弟子だから応援しているというよりも、対等に自分のライバルとして見ているんですね。とにかく貪欲に色々なものを吸収されていました」

――そんな手塚先生にとって『ブッダ』はどういった作品だったのでしょうか

大浦「虫プロ倒産という大変な時期にスタートした『ブッダ』の連載は、手塚先生の人生においても苦闘時代から復活への11年間だったようです。そのうえ掲載誌が『希望の友』から『少年ワールド』そして『コミックトム』へと3回も変わっているんです。普通であれば途中で嫌になったり連載の気力が挫けることもあるんじゃないかと思うんです。この一点を考えただけでも『ブッダ』を完結させたというのは、担当編集者の想像以上に手塚先生が思いを込められた作品だったんだと思いますね。手塚先生は再開インタビューの中で、『ブッダ』後半の展開とともに、「絵が描けなくなっても、漫画とつながりをもった仕事をしたい」と自らの晩年についても語られていました」

アニメ映画『手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ! 美しく-』は、5月28日より全国公開
(C)2011「手塚治虫のブッダ」製作委員会

――映画化について思うところを教えてください

大浦「私が担当しているときにも何回か映画化の話はあったんですが、実現しなかった。どう表現するかが難しかったというのがあると思います。なので、映画になったのはすごく嬉しいし、ありがたいことですね。映画を通して原作を読んでみようかなという方が増えれば私としては嬉しいし、そこから手塚先生の色々な作品を見ていただき、もう一歩「手塚ワールド」のすばらしさ、奥深さを感じていただければ、私も手塚先生との時代を共に生きた人間として嬉しいです」


電子貸本「Renta!」では、映画公開を記念して漫画『ブッダ』第1巻を無料で読めるキャンペーンを実施している(5月30日まで)。