1号店は予約無しでは入れないホルモン焼き店
JR・京王井の頭線吉祥寺駅から徒歩10分以上。パッと見ただけでは何のお店かわからない店構え。よく見ると、小さく店名の『わ』とのみ書かれている。こちらのお店、予約なしでは入れない連日満席という大人気のホルモン焼き店なのだ。店主・光山英明さんは、脱サラして2002年に同店を開業。不利な立地ではあったがオリジナリティの高い店づくりで評判が口コミで広がり、あっという間に人気店へと成長した。
その後、同じ吉祥寺に2店舗目となるホルモン焼き店「たるたるホルモン」を出店。和食店やバー、バルなど様々なスタイルの店舗を順調に増やしていき、今や直営9店、FC15店の計24店舗を展開。光山さんは飲食業界でも注目の人物となっている。一体光山さんはどのような経緯で独立し、成功を収めていったのであろうか。
1970年大阪に生まれ。少年時代から野球に熱心に取り組み、上宮高校時代は野球部主将としてセンバツ大会ベスト8といった成績を収める。中央大学進学後は野球部に所属。野球とは切っても切り離せない生活を送ってきたが、大学卒業後は大阪で就職。営業マンとして会社員生活を送るものの、学生時代よりずっと考えていた「いつかは店を開きたい」という夢を忘れなかったという。
退職したのは32歳、2002年6月のことだった。サラリーマン生活は順調だったが、独立への思いから安定した生活には別れを告げた。
飲食店には片っ端から不採用
思い切りよく会社を辞めたものの、どのような店にするかといった具体案すらなかった。しかし、まずは大学時代暮らした東京・吉祥寺での出店を目指し、上京。光山さんも忘れていたというが、大阪でUターン就職する際に「10年後には東京に帰ってきます」と仲間に宣言しており、奇しくもその宣言どおりのタイミングだった。
上京してから最初の1カ月は家もなく、大学時代の先輩宅に居候。飲食店で働いた経験もなかったので、まずは居酒屋で働こうとしたが、吉祥寺の個人店や大手のチェーン店など、片っ端からなぜか不採用。「悔しくなって、『それやったら自分でやるわ! 』と開き直りましたね」と苦笑いしながら当時を振り返る光山さん。いやはや、飲食店での勤務経験もないまま独立とはなんとも大胆不敵である。