日本アイ・ビー・エム 東京基礎研究所 アクセシビリティ・リサーチ担当 IBMフェロー 浅川智恵子氏

昨年6月にIBM技術職の最高職位「IBMフェロー」に就任した日本アイ・ビー・エム 東京基礎研究所 アクセシビリティ・リサーチ担当IBMフェロー 浅川智恵子氏。IBMフェローは顕著な功績を収めた技術者として、全世界で約40万人いるIBM社員のうち現役IBMフェローが73名と、ごく限られた人数しか任命されない権威ある職位だ。

14歳の時に視力を失った同氏は25年前に同社に入社して以来、全盲の研究員として、障がい者の情報アクセス/コミュニケーション向上に貢献する技術の研究開発をリードしてきた。

同氏の活躍ぶりは今年1月にNHKで放映された 『プロフェッショナル 仕事の流儀』で紹介されたので、ご存じの方も多いだろう。小誌でも同氏のIBMフェロー就任のニュースを掲載したのだが、その反響の大きさは予想以上のものだった。

今回、幸運にも同氏に直接話を聞く機会を得ることができた。同氏がどのような姿勢で仕事に臨み、今どのようなことに取り組んでおられるのか。以下、同氏から聞いた話をお伝えしよう。

すべての人に役立つアクセシビリティに

アクセシビリティと聞くと、まず頭に浮かぶのは、視覚障がい者をはじめとした障がい者にとってのWebの使い勝手を向上すること、ではないだろうか?

浅川氏は「これまでWebのアクセシビリティ中心に研究活動を進めてきました。今後、情報のアクセシビリティというものを考えると、"デジタルブック"、"位置情報"にまで対象が広がります。誰もがどこでも等しく情報を受け取れるようにすることが、アクセシビリティ分野の研究に課せられた大きなテーマです」と話す。

アクセシビリティを広げるためのカギの1つに「いいものを作ること」があるという。同氏は視覚障がい者向けWebページ読み上げソフト「ホームページ・リーダー」を開発したことで知られているが、当初、健常者の研究仲間たちは「Webは見るものであり、聞くものとは思っていなかった」と驚いたそうだ。

実際に同ソフトが出来上がっていろいろと試してみたところ、「これはいける」ということになり、製品化されたという次第だ。

加えて、同氏は「アクセシビリティをもう一歩進めるためには、健常者もアクセシビリティ技術のメリットを享受する仕組みが必要」と指摘した。ただし、そこには「音声合成」という課題が立ちはだかる。

例えば、読み上げソフトは「高木(たかぎ)さん」という苗字を「こうぼくさん」と読み上げることがある。それでも、「視覚障がい者なら『ああ、たかぎさんのことだな』と自分の頭で変換できますが、音で聞くことに慣れていない健常者はそうはいかないでしょう」と同氏は話す。

「アクセシビリティに関する技術や製品を健常者に広めるためには、ブレイクスルーが必要なのです」

人生100年も夢じゃない!? 高齢者のためのアクセシビリティ

同氏が現在取り組んでいるテーマが「高齢者」である。高齢者が求めるアクセシビリティの要件も多岐にわたっているそうだ。「研究を行うにあたり、高齢者の方々と面談をしているのですが、本当に楽しく、新たな発見があります。例えば、今の高齢者は一般に思われているよりも、はるかに新しいものに順応されていらっしゃいます」

1人で自立して生きていける高齢者は「元気高齢者」と学術的には呼ばれるそうだ。「元気な高齢者が本当に多いです。声だけを聞いていると、70代、80代の方たちとは思えないくらい、若々しくていらっしゃる」と、同氏は今の高齢者の方々が意欲的な人生を送られていることを強調した。

「戦後当たりまでは、よく"人生50年"と言われてきました。その後、日本は寿命革命を経て、今は"人生80年、90年"と言われるようになりました。そのうち、"人生100年"と言われる時代になるかもしれません。その時、アクセシビリティの果たす役割は大きいでしょう。」

同氏は「今まで行ってきたアクセシビリティの研究を学際的な視点で新たなことを結び付けることで、より高度なことが可能になり、テクノロジーが貢献できる可能性が広がる」という。

加齢ととともに視力の低下は避けられないが、アクセシビリティという観点からは視力よりも記憶力のほうが課題ではないかとも一般的に考えられているそうだ。

例えば欧米では、短期的な記憶力を支援するソリューションとして、買い物リストをグロッサリーに記録させるといった実験が行われているが、「これはモバイル機器とクラウドコンピューティングという、2つのテクノロジーによる連携です」と同氏は話す。

今後は、RFIDやクラウドといったテクノロジーによってさらにアクセシビリティの可能性が広がっていくのは必至だ。その例として、同氏は「Crowdsourcing(人々の支援によりインターネット上である目的を達成すること)」という考え方を教えてくれた。

同社の東京基礎研究所では、視覚障がいを抱えるインターネット・ユーザーと一般のインターネット・ユーザーが協力してWebページのアクセシビリティを向上させる仕組みに関する研究が進められている。今後、開発者やWebデザイナーなど、さまざまな人々が協力していく仕組みを築いていきたいと考えているそうだ。

さらに、「日本は世界に比べて高齢化が進んでいるので、アクセシビリティの研究も先を行くことになります。超高齢社会というと、ウィークポイントと思われがちですが、アクセシビリティの研究を通して、それを日本の強みに変えていきたい」と話す同氏。その言葉に、技術者ではないこちらまでテクノロジーの可能性に対し期待が湧いてくる。