世界で活躍するラテアーティスト
そんな澤田さんだが実はカフェの開業は今年4月のこと。それまではフリーのラテアーティストとして活躍していた。その時代の作品がニコンやマックカフェのCMである。「フリーのラテアーティスト」といってもピンと来ない人は多いだろう。私自身も失礼な話だが、「仕事として成り立つのだろうか」と疑問に思っていた。
「日本国内だけなら職業として成立しないでしょうね。なので、北米や香港、台湾にも渡り、バリスタトレーナーやカフェのコンサルタントとして仕事をしていました」。
ここで澤田さんの経歴を説明するとしよう。大学卒業後、紀ノ国屋インターナショナルでチーズのバイヤーとして勤務。25歳の時には、フランスチーズ鑑評騎士の称号を当時世界最年少で叙任。そして雪印乳業へと転職。この頃まではコーヒーと無関係の仕事に就いている。そして雪印乳業退職後、アメリカ・シアトルへ留学。
シアトルと聞き、「コーヒーの勉強のために? 」と質問したが、「いや、それが全くの偶然で。当初は語学やビジネスの勉強のためでした」。しかし、やはりここシアトルで、澤田さんは人生の転機を迎える。
北米スタイルに衝撃
たまたま入った個人系のカフェ。ものすごくたくさんの人が来店して忙しいのに、1杯1杯高度な技のフリーハンドでラテアートを仕上げて提供している。しかも紙コップにも! バリスタたちは、日本で一般的に見る襟付きシャツに黒のロングエプロンといったスタイルではなく、Tシャツ姿に腕にはタトゥー全開。鼻ピアスをしている姿も!
この光景に衝撃を受け、ラテアートに興味を持った澤田さん。現地のカフェで修行をしつつ、「ラテアートチャンピオンシップ 世界大会」にも出場。初回は予選落ちだが、2回目でファイナル進出、3回目で優勝となった。この間には、日本での「ディーンアンドデルーカ(DEAN & DELUCA)」の立ち上げにも参加している。このプロジェクト後、フリーのラテアーティストとして活躍の場を広げていったのだ。
ではどうしてカフェの開業に至ったのだろうか。「2本のCMに出て、『澤田さんのカフェラテが飲みたい』という人が急に増えていきました。フリーのままだと、そういった方々にコーヒーを提供する場がなかなかつくれないので、店を開こうと決意しました」。
カウンターでオーダーすると、すぐに澤田さんをはじめとしたバリスタがカフェラテを淹れてくれる。お客はその様子を目の前で見ることができるのだ。「北米では、カフェといえばこういったスタイルの店が大半。フリーポア・ラテアートの醍醐味でもあるスリル感をお客さんにも味わってほしいので、この形態にしました」。なるほど、これは着席のカフェでは実現できない。
最後に「フリーポア・ラテアートの魅力は? 」と聞くと、「自由なところ」とキッパリ。Tシャツにハーフパンツ、ニット帽、足元はナイキのスニーカーといったストリート風のスタイルできめ、華麗な手さばきでスピーディに仕上げるカフェラテの数々。きっとこれからもその自由な発想で、私たちを楽しませてくれることだろう。