日本をはじめとする世界18カ国の大学において工業デザイン、プロダクトデザイン、エンジニアリングを選考する学生ならびに卒業後4年以内の卒業生を対象として、毎年開催されている国際デザインアワード「第5回James Dyson Award (ジェームズ ダイソン アワード)」。10月5日の最優秀賞受賞作発表を前に、日本最優秀賞を受賞した電気自動車「風車」を手がけた、岩原一平さんに話を聞いた。
岩原一平さん |
――もともと大学では、デザインではなく航空宇宙工学を専攻していたのですよね。
「田舎(山口)の進学校に通っていたので、医者とパイロットと弁護士くらいしか職業を知りませんでした(笑)。僕は医者にはなりたくなかったので、じゃパイロットかと……」
――"エリート"な選択ですね。
「 (笑)。もともと理数科だったんです。同級生も半分が医者になっているし、パイロットになっている人も多いです」
大学入学のために上京。得意分野を活かすはずだったが、「勉強は難しかったし、面白くなくて。これは違うな」と思ったという。
「2年生になったときに、大学にデザイン学科が新設されたんです。そこに新幹線のデザインをした先生がいらっしゃって、N700系は『僕が絵を描いて形にしたらCD値(空気抵抗係数)が小さくなったんだよね』って。
空気力学を当時学んでいた僕は、エンジニアリングを勉強してきたのにデザイナーにデザインされるのかってショックだったんです(笑)。それで、僕がデザインを勉強したらすごい新幹線がつくれるんじゃないか! って安直に考えたんです」
そこからの行動がはやい。「デザインの勉強をしたいんです」と教授に頼み込み、単位が取れないことを前提に授業に潜りこむようになる。ここが、彼の転機となった。
「CGのアルバイトを斡旋してもらったり、『毎週、宿題あげるから持っておいで』と言ってくださった教授もいました。夜は毎日学校に残って絵を書いていました」
大学時代には「新幹線のデザインをしたい」と本気で考えていたという。今回の受賞作「風車」もそうだが、見せてくれたスケッチブックには車のデッサンも多い。
――乗り物に興味が?
「デザインを学び始めた頃は、工学部のバックグラウンドを活かすことを必死に考えていたので。3年生のときは鉄道会社から内定ももらっていました」
しかし、世間はそう甘くはない。鉄道会社に入ったところでデザイナーとして関わるのは不可能だという現実に直面し、悩んだ末、内定式ギリギリになって辞退。そこから「デザイン一本で行くか」、と決意を固めたのだという。
島津製作所とのプロジェクトでデザインしたのは、複数のものの重さをひとつの面で一度に量ることができる『DiSc』。インタフェースは「季節に合わせてお皿の柄を選ぶように、見た目のデザインも変わると面白い」という発想から四季それぞれの顔をもつ |
「ちょうど島津製作所との産学共同プロジェクトに参加していて、学校でトップに選ばれたんです。その作品が雑誌『AXIS』に掲載されたり、特許の話が出たり…。で、これは行けるかなと(笑)」
――順風満帆というか…。挫折知らずですね。
「そんなことないですよ(笑)。今話した部分だと全然頑張ってない人に聞こえますけども。睡眠時間を削っていたんです。毎日明け方まで大学にいて、研究の合間に絵を描いたり、CGの勉強をしていました。
描き始めたばっかりの頃はインターンも全部落ちました。それが悔しくて、描き続けていました。数で負けなければ、勝てるだろうと思って」
製品化も決定している『koyubitoring』。「KDDI iida AWARD 2010」受賞作品となるストラップ・デジタルコンテンツ、koyubitoringは「大切な人とのつながりを、いつも感じていたい」という想いから誕生。現実世界とバーチャルの境界を越えて、ケータイの画面の中へと続く |
デッサンを教えてくれる先生はいなかったから、「絵は独学」。大学に無数にあるデザインの本を"教科書"にした。2つの学科を掛け持った学生時代には、体育会系ラグビー部という経歴も加わるというから多忙っぷりに驚かされる。